パウダースノー

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

パウダースノー

 私の育った長野県の佐久地方は雪の少ない土地柄だった。  たとえ降ったとしても真冬の雪は雪合戦もできないようなサラサラな雪だった。  子供のころはなんで雪の玉が作れないのか不思議だった。    パウダースノーなんて美しい響きの雪だったなんて思いもしなかった。  学校に行く途中、山間部なので通学路には沢山土手がある。  その誰の足跡も付いていない土手に、少し手を広げたりして、道路からそのままバフッと体を倒す。  体重の軽かった子供だったからできた事だと今の私は思う。  今やったら絶対にどこか怪我をするだろう。  そのまま雪を崩さないようにまずは頭を起こし、自分の頭でへこんだところに手を置いて、段々手を自分の身体でへこんだところに移して、足は最後まで動かさずに立つと、雪の上に自分の形のへこみが残る。  そんな風にして立ち上がっても、身体に着いた雪は払うまでもなく、みな風で飛んで行ってしまう。  これもパウダースノーのおかげだったのだ。  そもそも、真冬に雪が降っている時に傘を差したことがない。  スノーウェアのフードに積もった雪はその下に被った帽子で体温が止められているのか、頭の上でもとけなかった。  とけるより先にどんどん風に吹かれて地面に流れて落ちていく。  田んぼに積もった雪も上の方はサラサラと流されて行き、その様子はとても美しい。  確かに春先に降る雪の時には傘をさしていたし、雪も解けて足元でぐちゃぐちゃになった。地元ではこんな風になった雪を『大根おろし』と呼んでいた。  大学生になって、東京の雪の日にまず驚いたのは、雪の日でも女性がヒールを履いていた事。  それでいて、歩くのはへたくそで転ぶ。    地元では雪は少なくても少しの水分で道路が凍結してツルツルになるので、滑らない歩き方が自然と身についている。おかげで東京で雪が降っても転んだことはない。      私の地元では、高野豆腐の事を『凍み豆腐(しみどうふ)』と呼ぶのと同じで、道路でも、水が溜まって氷っている場所は、『氷っている(こおっている)』のだけれど、空気中の水分のみで道路が凍結している場合は『凍みている(しみている)』という。  氷っているのは見ても分かりやすいので、県外の暖かいところから来た人たちもさすがにそこでは気を付けるし、自動車もブレーキを踏まない。一応氷の上でブレーキを踏んではいけないということ位は分かっているのだ。  でも凍みている道路は分かりづらいらしい。  県外ナンバーの車はブレーキを踏みスリップして交差点で事故を起こし、滑るとは思っていない人たちは凍みている道路で転倒する。  見分け方はと言われても、昔から身についているので説明が難しい。  でも、東京で道路が凍みていることはまずないので大丈夫だ。  東京の雪は全部大根おろしになる。最悪だ。  まだ新宿に勤めていた新婚時代、私の住んでいる京王永山近辺では結構な量の雪が降っていて、駅まで長靴で行った。  そのまま勤めていた新宿に出勤したら、新宿には雪がなくて恥ずかしい思いをした事がある。  次の雪からは永山の駅のロッカーに長靴を入れ、そこからパンプスに履き替えて通勤したものだ。  私はふくらはぎが太くてブーツが履けない。何度か試したが履けるものは見つからなかった。  そもそもブーツに合うファッションを持っていない。    なので、雪が降ったらスノトレか長靴なのだ。  足が濡れて冷たいよりはずっといいだろう。  都会のずっとパンプスで通す人の根性には頭が下がる。  再婚をする前3年程、地元の佐久市に帰っていた時期がある。  雪はほとんど降らないし、降っても昔のようなパウダースノーは少なかった。やはり暖冬になっているのだろう。  でも、2月に急にふったりすると、10cm程積もっていても、箒で履けばどこかに行ってしまうような軽い雪なのだ。  階段の手すりも箒で全部払えるし、力もいらない。  車の前に積もった雪も手で簡単に払えてしまう。  パウダースノーは響きも美しいが、人にも優しいのだ。  あの感触を知っていると、東京では雪は降らないでほしいなと、本気で思う。  私のパウダースノーの思い出だ。 【了】
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!