1月29日から今日まで。

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1月29日から今日まで。

1月29日、午前中の受診を終えるまでは体調は一直線に、安定していた。午後から何の前触れもなく、沈んでいった。それからはずっと食事と歯磨き以外はベッドの中で、昨日の午前中まで時間が過ぎていった。その間も何も考えたくなくて、誰にも自分の領域に入られたくなくて、家の中が静かな日中はただスマートフォンを右側の枕元におき、家族の気配を感じ始めたらイヤホンをしてずっと同じ人のYouTubeをループして聴いていた。 何の前触れもないと、表面では思っているけど、奥底の自分は沈んでいった理由を知っている。 家族の存在はありがたく、今の自分では、1人では生活できない。消えたくなった時は、きっとほんとに消えてしまうだろう。でも、家族の存在が重く感じ、距離を保ちたくなる時もある。同じ屋根の下にいても、人間1人ひとり言動は違い、それらに心身を削られる。 この10年で、社会にでて、きっと多くの人が普通というであろう労働を5年ぐらいしかしてない。あとの5年は自分の殻に閉じこもり、自分で自分を傷つけ、障がい者になった。自分では障がいに偏見はないと思っていたけど、いざ自分が障がい者という立場に立たされた時、社会から見放され、自分では人生の全てを完結させることができない人間になってしまったのだと絶望感を感じた瞬間もあった。夢もあり目標に向かって立ち向かって行っても、自分や社会に勝てない人間なのだとも思った。 今の心の拠り所はSNSの中で、同じ障がいや境遇にある人達の生活を覗き見して、今の自分のままでいいのだとその瞬間だけ思って平常心を保っている。つもり。 過去の自分は30歳、結婚し子供が2人いて親に時々孫の顔を見せにいく、そんな生活を描いていた。弟は自閉症、長女であり他に兄弟がいない自分が、親孝行をしなければいけないとずっと思っているけれど、親の顔色だけをうかがい、ただ時間が過ぎていく日々に申し訳なさと不甲斐なさを感じて、いつ自分が納得のいく親孝行ができるのだと自分を貶めたくなる。 今日も隣の人は貧乏ゆすりをしている。
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