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4 後輩、やらかす
香苗がミスをやらかした。
営業部隊が死ぬ気でとってきた新規取引先であるタイの輸出者に便宜を図るため、コルレス銀行経由でL/Cを開いたのだが、L/C通りにB/Lを作らなかったために銀行買い取りを拒否されてしまったのだ。
日本側の銀行が買い取りできないとなれば、信用問題になりかねない。先方は割引手形を入手するまで絶対に輸出手続きを進めないだろうし、そうなれば為替先物でヘッジしていたうちの苦労もすべて無駄になる。
わたしは直属の先輩として必死にフォローしたが、結局頭の固い銀行担当者は書類一式を買い取らず、L/Cは破棄されてしまった。
やむなくうちが折れ、完全前払いという途方もないリスクを背負って為替送金を決行することになった。先方はどうにかそれで納得し、以後はつつがなく輸入は完了、無事にエンドユーザーである卸売業者の倉庫へコンテナを納品することができた。
すべてのゴタゴタが片づいたあと、わたしたちコンビは輸入部の上司にこっぴどく絞られ、干からびたボロ雑巾になってからようやく解放された。
その日の夜、わたしは珍しく後輩を居酒屋へ誘った。さすがに放ってはおけなかった。
香苗は席に着くなりハイピッチでアルコールを頼みまくり、喉を鳴らしてそれらを片づけていった。下戸であるわたしは驚嘆の眼差しでその雄姿を眺めるばかりだ。
「真琴さん、あたしのミスなんですかあれ」後輩は口をへの字に曲げている。「そりゃS/I作ったのはあたしだけど、あのハゲがテンプレートよこしたんですよ、コッテリ絞ってくれちゃったあのハゲ自身が!」
「まあまあ。次見返してやれよ」
「でもテンプレが――」
「佐伯、三宅さんはまるまるそのテンプレを使えって指示したのか。『参考にしろ』って言ったんじゃないのか」
「うっ……」
「L/Cは取引の成否を決める大切な書類だ。佐伯はそれを知ってたはずだろ」
「そりゃそうですけど」
「じゃ、あとはもうわかるな」
沈黙が下りた。やがて後輩はぺこりと頭を下げた。「ごめんなさい。あたしのせいで真琴さんまでタイへ謝りに行くことになっちゃったのに、自分の非も認めずに、あたしったら――」
「誰にでもミスはある。同じことをくり返さなきゃいいんだ」
そう言った瞬間、後輩は声を上げて泣き始めた。これには参った。出てきた言葉はなんともデリカシーのない一言であった。「さ、佐伯、ストックは大丈夫か?」
聞こえていないらしく、なおも彼女は泣き続けている。しまいにはわたしの肩にしなだれかかってきた。喧騒の激しい居酒屋とはいえ、何事かと周りもざわつき始めている。
光速の60パーセントで勘定を済ませ、店の外へ転がり出た。
駅まで歩いている最中、後輩は思い出したようにしゃくりあげていたが、それも頻度が長くなり、駅のホームに並んで座っているころにはすっかり落ち着きを取り戻していた。
「真琴さんさっきの台詞、なんですかあれ」彼女は唐突に吹き出した。「ストックは大丈夫かってやつ。デリカシーなさすぎ」
「俺もそう思う。すまん」
「そんなとこが真琴さんらしいや」
正直に言うと、電車が遅れてくれればよいと思った。
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