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1 涙の値段は流動的
「これ見ました日下部さん」後輩の佐伯香苗は出勤してくるなり、スマートフォンの画面をつきつけてきた。「涙価の始値なんですけど、前日比で高騰率12パーセントですよ!」
後輩はぶつぶつ愚痴りながら、隣の席に腰かけた。ふわりと幽かな香水の香りが漂う。御年27歳、はち切れんばかりの若さを発散するおてんば娘だ。
「1日で12パーセントは穏やかじゃないな。なにかあったっけ」
「日下部さんちゃんとニュース見てます? 台風17号ですよ」
「直撃したのどこだっけ、九州?」
「そう。被災地の人はかわいそうだけど、涙価高くなると困るんです」
「近々泣く予定でもあるのか」
「あたし映画のサブスクに入ってるんですけど、新作があがったんですよ。泣けるって評判の」
わたしはパソコンを操作し、涙価市場のチャートをモニタに映し出した。香苗の言った通り、涙価の現物は202円にまで急騰していた。大泣きしたときに流れる涙がおよそ2 ccであり、それが1単位とされている。涙は一粒あたり0.2 ccと決められているので、現在の涙価は202×10=2,020円だ。
「お涙頂戴系の映画を見るために2,020円使うのは、ちょっと割に合わんのじゃないか」
「でも気になるの!」
わたしは肩をすくめた。「始業時間だぞ。仕事しなさい」
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