トウコの話

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トウコの話

 我が家は貧しい。不法滞在だから、正規の教育を受けられないし、どんなに勉強ができて優秀でも、学歴も得られない。つまり、齢9歳にして、私は人生いろいろと“詰んで”いる。それでも、お父さんお母さんお爺ちゃんお婆ちゃん、2つ上のお兄ちゃん、そして飼い犬のハッピーと、幸せに暮らしている。  我が家は貧しい。時に、日々の食べ物にも困るほど。それなのによく犬なんて飼っているな、って言われるけれど。ハッピーはかけがえのない家族。4年前、我が家の状況がよくわかっていなかった幼い私が、川に投げ捨てられて溺れかけていた子犬を助けて、自分のご飯を上げるから、と泣いて嘆願して家族に加えられた。  ハッピーを飼うことを後押ししてくれたお爺ちゃんは言った、自分も幼いころ、犬を飼っていた、いい相棒だった、と。国の記憶がほとんどないお父さんは、不機嫌だったけれど。  我が家は貧しい。食事を分け合って、私とハッピーはいつも空腹だった。それでも、暖房もろくに無い部屋で、体をくっつけ合って眠るのは、幸せな時間。       ***  だけど。ある日、知らない人が来て言った。その犬を引き取りたい、と。 ハッピーは血統書付きの犬なんだって。それなのになんで捨てられたかというと、尻尾の巻きが甘くて、高く売れない“駄犬”だったから。駄犬? ハッピーが? ばかみたい! 「けど、血筋が正しいことには変わりありませんから。天然記念物として保護されることになったんですよ。今後は、きちんとしたお宅で、それなりの世話を受けて生活できます」  ハッピーと離れるのは嫌! そう思ったけれど。でも。  新しいおうちでは、ハッピーはお腹を空かせることはない。不適切な、人間と同じ食事を摂ることなく、きちんと栄養管理されたものを毎日必要量食べられる。  機嫌の悪い父さんに、いきなり蹴飛ばされることもない。寒い部屋で震えて過ごすこともない。ハッピーにとっては、いいことづくめじゃない?       ***  夜。私は、ハッピーと散歩に出かけた。いつもどおり、ハッピーは嬉しそうに横を歩く。時おり私を見上げながら。その瞳が、口元が、全身が語りかけてくる。散歩、大好きです、楽しいですね、嬉しいですね、と。  誰もいない公園で、ベンチに座る。ハッピーも、ベンチに並んで座った。 私は語りかけた。 「だから、ね。新しいおうちに行ったら、今よりもずっと幸せになれるの。みんなあなたを大事にしてくれるから。ね、心配要らないよ」  言いながら空を見上げる。ああ、あれはオリオン座。その足元には、犬がいて。あの犬とオリオンは、仲良しだったのかな、なんて思った。  大きく目を瞠る、そうしているうちにも目の中の水位はどんどん上がってきて、表面張力いっぱいになって。それでも、泣くのはおかしいよね。幸せな旅立ちの話をしているのに。  絶対に、泣かない。空を見上げたまま、強く思う。  星が1つ、夜空をすぅっと流れていった。
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