冬の底

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 九十キロと少しの道を、二時間ほどかけて走った。  家は、都市圏からも観光地からも遠い、ただ平べったいだけの農村のど真ん中にあった。  屋根雪も落とされていない。家の周りの雪も除雪されていない。  俺が実家にいたころにはなかったことだ。  父は、そういう部分に手を抜かない人だった。いや、抜けないのだ。  こういう田舎では、土地で目にするあらゆることが噂の対象となる。あの家の畑の畝は汚い。そういうことで人間全体への評価が下る。隣の家などどれも数キロ先で、近所の眼などないようなものだが、そんなことはない。大人の誰もが自分用の車を持ち、あらゆる場所への移動に車が使われる。人々の視界は、都会の人の思う以上に広い。  父は、そういう世界に嫌々ながらも順応していった人間だった。父の姿を見て、こうなりたくないと俺は思って、高校進学のころには東京の大学に進むことを決めていた。兄に相談はしなかったが、兄が農家を継ぎたくないと思っていたことは知っていた。  だから、俺は逃げたのだ。そう考えて間違いはない。  兄にすべての責任を負わせて、俺は振り返りもせずに好きなように生きた。そうして兄が先に死んだ。  何かおかしくないか。  父はそう言った。  父は居間で酒を飲んでいた。ビール缶が大量に転がっていた。父が酒を飲むことを、俺は今まで知らなかった。 「順番から言えば俺だ。俺なら準備はできていた」  死の順番の話だ。そう思ったが黙っていた。 「死因で言うなら脳梗塞とかそういうのだったはずだ。去年からずっと病院に行っていた。ところがどうだ、死んだのはあいつで、死因は交通事故だ。なんだこれは。意味が分からない。こういうことには、なんというか――必然性があるべきだ。これでは誰も納得して死ねない。納得して生きられない」  ジョーゼフ・ヘラーの小説に似たような話があったな、と俺は他人ごとのように思う。  自然は人間の事情を斟酌しない。  そうも思う。  だが、俺はわかったようなことを言う代わりにテーブルの上のビール缶をとった。誰も見ていないテレビのほうを向いて座って、黙ってプルタブを引いた。
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