冬の底

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 千歳空港は雪の中だった。いたるところで除雪車両が動いている。雪雲に覆われた空は昼間でも薄暗い。落ちてくる雪は灰色に見える。  ああ、こういう感じだったなと思い出す。  冬に帰省するのは三年ぶりだった。    見覚えのある赤い軽自動車を、細身の背の高い女性が懸命に除雪している。掻いても、掻いても、雪は降り積もる。そういうものだ。自然は人間の事情を斟酌したりはしない。 「義姉さん」  声をかけた。気づかない。もう一度声をかけた。  義姉が振り返って俺を認識するまで、少しの遅延があった。疲れているな、そう思った。 「お久しぶり、武彦くん」  義姉はそう言ってぎこちなく微笑んだ。 「だいじょうぶ?」  俺の目は見ずに、義姉は頷いた。 「乗って」  そう言った。 「なんだかね、忙しいばかりで、全然実感がわかないの。お義母さんが生きてらっしゃればべつだったんだろうけれど、お義父さんはこういうことはあまりわからない人だから。で、まあ、私も何の心構えもしてなかったから、もう、てんやわんや。われながらひどいと思うんだけれど、冬でよかったなと思う。農繁期だったらどうなってたか、ちょっと想像がつかないもの」  運転しながら義姉が言った。その視線の先にもたえまなく雪が落ちている。道路の両脇は雪の壁だ。何もかもが白くて、どこが路面なのかもわからない。 「運転、かわろうか? 家に着くまでの間でも、休めばいいよ」 「不安だなあ。冬にこっちで運転したことあったっけ?」 「全くなくはないけれど」 「そんな感じでしょ。帰ったらお義父さんの相手をしてあげて。叔父さんたちも来るし」 「雪人君はどんな感じ? ショック受けてる?」  きゅっと、義姉の喉がしめつけられるような音を発した。ぞくりとして横顔を盗み見たが、義姉は微笑んでいた。赤信号にさしかかり、停車する。少し歪んだワイパーのかちかちという音。やがて義姉が言う。 「わかんない」  軽い、冗談のような口調だった。 「あの子が何考えてるのか、ときどきわかんなくなるの」  信号が変わる。滑らかな発車。 「ちょっと口が滑っちゃったな。今の、誰にも言わないでね」  兄が死んだ。  突然のことだった。隣町まで買い物に行ってきた帰り道、アイスバーンにハンドルをとられたバスに追突されたのだ。  俺は東京の大学に通い、東京で就職した。兄は実家に残り、農家を継ぎ、結婚し、子供もつくった。その間に俺は、結婚に失敗し、何度か失恋し、出世もせず、今の仕事に漠然と不満をおぼえながらも転職を試みたりもせず、漂うような日々を過ごしていた。母が死んだのは三年前だが、次は自分たちの番だなどとは少しも思わなかった。  なんの心構えもしていなかったのも、実感がわかないのも、義姉とまるっきり同じだった。
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