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53 王の存在
「ッ――!」
傷は全く深くない。
紙で切った程度の掠り傷。
「協力関係が結べないなら残る手段は1つしかないよな。有り難く“血”は頂くぜ女神様」
「ちょっと、何勝手に……!?」
エレンの透き通る白い肌から流れた一滴の血を手に入れたラグナ。彼は次の瞬間、抵抗するエレンを他所に一瞬で魔法を掛けた。
「……って……なんで……急に体が重く……」
その言葉を最後に、エレンは眠りに落ちた。
「さぁて。やっと念願の時が来たぜ。ここまで長かったなー。これでようやくジャックと“兄弟”になれる――」
**
どれくらいの時間が経っただろう。
(ん……?)
「……!…………ッ…………」
ラグナによって眠らされたエレンが意識を戻す。
(何の音……? 私は一体どこにいるの……)
朦朧としている視界。
頭がボーっとしているエレンはまだ“状況”を理解出来ずにいる。
具合が悪い訳でも、どこかが痛む訳でもない。だが自分の体がピクリとも動かせない事に混乱が深まる。
「……ッ…………!……ッ……」
体に感じる強風が衣服を靡き、風の音の合間から別の音が聞こえる。
エレンの視界には満点の星空が広がり、眼前に煌めく星空はとても綺麗であった。
(――!?)
そこで初めてエレンの意識がクリアになる。
通常では“目の前”に星空が映るのは可笑しい。相変わらず体を動かそうとしてもピクリとも動かないエレンだが、自分が“上”を向いているのではないと直ぐに理解した。
彼女は立って上を向いている訳ではない。彼女は仰向けの体勢になっているのだ。それも、地から浮いた空中で――。
「~~~~~~~~~~~!」
「ラグナ……」
唯一動かせる視界の端で、何かをするラグナの姿を確認したエレン。彼女は動かせる瞳で辺りを一周見回した。
「ここはさっきの大聖堂……。でも建物が無くなってる。それより何で体が動かないんだ……! こら、ラグナ! 僕に掛けてる魔法を解け!」
こんな訳の分からない事が出来るのは最早ラグナしかいない。直感で思ったエレンは必死に声を張り訴えかけるが、ラグナはエレンの声が届かない程に真剣な表情で何やらブツブツと唱えていた。
エレンはマナ使いでもなければ魔導師でもない。今しがた自分の不思議な力の秘密を知ったばかりだ。だがそんなエレンでも、ラグナが『終焉の大火災』を発動させようとしているのは直ぐに理解出来た。
恐らくラグナが呟いているのは魔法を発動する為の“詠唱”。
勿論エレンにはその言葉の意味は分からないが、ラグナが詠唱を続ける程それに呼応するかの如く、浮いた自分の背後から差し込む魔法陣の光が次第に強まっている事に気が付く。
(止めないとマズい――)
そう思うエレンであったが如何せん体が動かない。
ラグナがいつもと別人な程に集中している事に加え、魔法の影響で吹き荒れているであろう強い風音がエレンの言葉を遮っていた。
「~~~~……~~~~……!」
もうすぐ詠唱が終わってしまう。
エレンは詠唱のえの字も知らないが、こういう時の嫌な予感というものは当たってしまうものだ。
「やめろラグナ……ッ! 自分が何をしようとしているのか分かってるのか! そんな力を手に入れたって、また無駄な争いが起こるだけだ……ッ!」
エレンの悲痛の叫びもやはり届かない。
何も動けずただ叫ぶ事しか出来ないエレンは、無意識に皆の名前を叫んでいた。
「こんな時アッシュなら……。エドさんやローゼン総帥ならどうするのかな……? 僕はやっぱり無力だ。 1人じゃ何も出来ないッ……!
アッシュ! エドさん! ローゼン総帥! 誰でもいいからラグナを止めてぇぇッ!」
「――人に頼らず自分でなんとかしろ」
「……!?」
その声はエレンが最も聞きたかった声。
彼女はその声の主が誰かを確かめる前に、気が付けば自然と目から涙が零れていた。
「アッシュ――ッ!」
「こんなとこにいやがったのか。ったく……どこまでも世話が焼ける奴だ。簡単に拉致られてんじゃねぇよ」
エレンの視界に端に映り込んだアッシュ。更にそのアッシュに続いてエド達も現れる。
「大丈夫ですかエレン君!」
「これは魔法陣……!? まさかッ……!」
心配の声を上げるエド。その横ではローゼン総帥が事態の危機を誰よりも早く理解していた。
「ラグナァァァァァ!!」
「「――!」」
吹き荒れる風音に負ける事無く轟いた1つの声。
これまでエレンがどれだけ叫んでも見向きもしなかったラグナが遂に反応を示した。
「ジャック? 何でこんな所に」
「止めるんだラグナ! 私が間違っていた……! もっと早くからお前と話し合えば良かった。こんな事になる前に」
「急に何言ってんだ? それより見ろよジャック! 遂に混血の女神を捕まえた。今から『終焉の大火災』を起こすぜ俺は!」
ラグナの放った『終焉の大火災』という言葉に皆が反応する。
「やっぱりこの魔法陣はエルフ族の……!」
「エレンを返しやがれ」
皆が事態を急く中、アッシュは一直線にエレンの元へ走り込む。
しかし。
――バチィン!
「なッ!?」
刹那、エレンの元へ走っていたアッシュの体が大きく後ろに弾き返される。ラグナの魔法陣の効果だろう。エレンに近付いたアッシュは突如バチバチと音を立てる見えない壁に行く手を阻まれてしまった。
「無理よアッシュ。恐らくエレンの周りに結界が張られているわ」
「結界……?」
「ご名答。流石リューティス王国の大魔導師さんだな。ヒャハハハ」
突然アッシュ達が現れたにもかかわらず、依然ラグナは余裕の対応。ローゼン総帥に皮肉を放つ程に。
「こんなに侮辱されたのは何時以来かしら。確かに貴方は魔導師として超一流よ。でも“それ”を起こすのは大きな間違いだわ。エルフ族でさえ絶滅した『終焉の大火災』を人間1人でコントロールするなんて夢のまた夢よ」
ローゼン総帥の言葉は決して負け惜しみではない。ラグナの魔導師としての実力もしかと認めた上での彼女の本心であった。
だがその言葉は最早ラグナにとってはどこ吹く風。
「ご忠告どうも。大魔導師さんのプライドを傷付けたら悪いが、俺は今世界でただ1人『終焉の大火災』を発動出来る魔導師だ。アンタじゃなくてな」
「例え世界一の大魔導師にお前がなっていたとしても止めるべきだラグナ! 『終焉の大火災』なんて引き起こして何の意味がある! 幾ら強大な力を手にしても平和になどなりはしない。寧ろその強大な力によって再び憎しみや争いが生じるだけだ!」
「……」
ラグナは分かっていた――。
ジャックが言わんとしている事を。
ジャックが望む平和な世界とはどんなものかを。
ラグナは誰よりも分かっていた。
小さい時からずっと一緒。
ラグナはジャックの求む未来も知っている。
そう。
何でも知っているのだ。
世界で唯一心を通わせた兄だから――。
しかし――。
「知ってるよジャック……。お前が叶えたい平和な世界に、この『終焉の大火災』の力は要らない。方向性が違うからよ。
でもなジャック、それは“お前の夢”であって“俺の願望”ではない」
「――!?」
ラグナから出た言葉を聞いた瞬間、ジャックの胸がドクンと1つ大きく脈打った。
「何の事だラグナ……? お前は私と友に歩んでくれるんじゃないのか……? 私は力や権力で支配しない、人々が本当に豊かで平和な暮らしが出来る世界にしたいと! だから共に目指そうと、2人で昔から話していたじゃないか……!」
「だから言っているであろう。それはお主の都合であって、ラグナの望むものとはまた違うのだ……ジャックよ――」
場に響いた重厚感のある声。
纏う雰囲気は“王”の貫禄。
最も現状に似つかないであろうその男は、柳の如く静かに姿を現し、雷の如き威嚇をジャックに向けて発した。
「ち、父上――!?」
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