57 託された思い

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57 託された思い

♢♦♢ 「ママ――」  もう何年も呼ぶ事がなかったその響き。  だが何よりも自然とその言葉は彼女の口から放たれた。 「大きくなったわねエレン」  目の前の母親は正真正銘、エレンの母親だった。しかし、母親がもうこの世にいない事はエレンが誰よりもよく理解している。 「ママ……ッ!」  理屈ではそんな事を分かっていても、無意識に体は反応する。エレンは存在する事が有り得ない母親に勢いよく抱き着いた。  何年振りだろうか。  この世に存在する筈がないのに、エレンの全身が母親の感触、匂い、暖かさ、全てをしっかりと感じていた。 「なんで……どうしてここに!?」  エレンは実の母親に聞きたい事が山ほどあった。話したい事も。でも真っ先に出た言葉がそれだった。エレンは有り得ない母親との再会に、この上ない幸福感を感じると共に、人生で一番と言っても過言ではないぐらい冷静でもあった。  目の前にいるのは間違いなく自分の母親。  しかし、この再会は最初で最後であると。  この時間はそう長くは続かないと。  エレンは不思議なほど客観的に今の状況を理解する事が出来ていた。 「それは聞かなくても、貴方自身が分かっている筈よエレン。この『終焉の大火災』を止められると思った“その”瞬間からね――。 お母さんは昔からずっとこの日が来なければ……と願っていたわ。でもやっぱり“運命”は免れなかった」  母親の言葉がゆっくりと、人知れない真実を紡いでいく。 「エレン。もうこの世界の本当の歴史は知っているわね。私や貴方は人間とエルフ、そして竜の血と意志を継ぐ混血の存在。どれだけ歴史が捻じ曲げられようと、私達の先祖が願った世界の平和という思いは決して消えていないわ。何百年も掛けて、今こうして貴方にまで引き継がれているのよ。 でもねエレン。どんな強い思いや強力なエルフの魔法であっても、この世界に永遠は存在しない。どんなものでもいつかは終わりを迎える時が来る。 願わくは、私は貴方の母親としてもっと一緒にいてあげたかった。パパとお爺ちゃんも皆で一緒に、当たり前の幸せがありふれた至極普通の生活を送りたかったわ。ごめんねエレン。辛いときに傍にいてあげられなくて――」 「……ママ……」  エレンの綺麗なエメラルドグリーンの瞳から涙が溢れ出す。 「大丈夫……。“あの日”、パパとママが急にいなくなった時……あの時からだよね? あの時からもういつかこの日が来るって事を知っていたんでしょ? だからパパとママは私をお爺ちゃんと逃がした。全てはこの日――私を守る為に」  エレンは母親に抱き着き、泣きながら思いを伝える。  彼女は炎の中で母親と再会した瞬間から、これまでの人生で抱いていた大きな違和感が嘘のようにスッと腑に落ちてきた。  全てが繋がっている。エレンはそう思えてならなかった。 「エレン、私のおばあちゃんを覚えてるかしら? 貴方のひいおばあちゃん」 「え、うん……。でも凄くうっすらとだけどね」 「フフフ。そうよね。エレンはまだ小さかったから仕方ないわ。あのね、実はひいおばあちゃんも私達と同じ混血を引いている人でね、彼女は特殊な力を持っていたの」 「特殊な力……?」 「ええ。ひいおばあちゃんが持っていた特殊な力は“未来を視る”力――」  紐解かれていくエレンや母親の過去。  曾祖母がエレンと同じ混血を継ぐ者であり、彼女は未来を視る事が出来たという。そしてその視た未来は“必ず起こる”と。  エレンの母親が曾祖母から聞かされた未来。それはまさに今、この世界に再び『終焉の大火災』が起きるという事であった。  今日という未来を何年も前から視ていた曾祖母は当時、『終焉の大火災』を避ける為のありとあらゆる方法を模索した。だが解決策は見つからない。どれだけエルフ族の歴史や魔法の事を調べ尽くしても『終焉の大火災』を止める術がなかった。  流石の曾祖母も運命を受け入れるしかないと諦めたその時、彼女は『終焉の大火災』を止める唯一の新たな未来を視た。  しかし、曾祖母が視たその術はとても残酷なものだった――。 「私はひいおばあちゃんに聞いたの。『終焉の大火災』を止める唯一の術というものを。でもあの時のひいおばあちゃんは頑なに話そうとはしなかったわ。 だって、それが他でもない自分の孫の私の“命”に関わる事だったから」  そう。曾祖母が視た未来。  それは『終焉の大火災』を唯一の方法が、エレンの母親の命を代償にするという事であった。  エレンの母親の魔力は数十年に1人という確率でしか生まれない珍しい魔力の持ち主であり、その魔力こそが『終焉の大火災』を止める、世界でただ1つの手段。だがその魔力は持ち主ではなく、その子供が使う事で初めて真の力を発揮するという、存在も使い方さえもが珍しい力だったのだ。  母親の特別な魔力をエレンに使わせるには、彼女が命を代償にし、自身の特別な魔力と“一体化”する事が条件。しかもその力は一度使えば消え去ってしまうものでもあった。曾祖母が視た未来で、エレンは混血を継ぐ最後の生き残りである事が分かっていた。  つまり、『終焉の大火災』を止めるにはエレンの母親が自らの命を懸けて魔力と一体化し、来る『終焉の大火災』の時にエレンがその力を解放するしかない。  リューティス王国とユナダス王国の戦争の引き金となったのがまさにこの『終焉の大火災』の存在であり、既に水面下で動き出しいたユナダス国王とラグナが混血の女神――当時まだ幼い少女であったエレンをその時から狙っていたのだ。  そして、エレンの両親はユナダス王国からの刺客から我が子を守り抜く為に命を懸けて祖父とエレンを逃がした。世界が助かるにはこの未来しかないと理解していたエレンの両親に迷いはなかった。父親は勝てないと分かっていながら、身を挺してユナダス王国の刺客達数十人を相手に戦って戦死。  更にこの日の為に準備を整えていた母親は遂にその魔力との一体化を始め、見事エレンの母親は使命を背負った特殊な存在として生まれ変わった。  そこまでの、そしてそこからエレンが戦争に巻き込まれて難民となり、生活費を稼ぐ為に傭兵に。そしてそこからアッシュ達との出会いや世界の歴史の真実を知る事、更にラグナに連れ去られて『終焉の大火災』を引き起こしてしまう事まで、全て曾祖母が視た未来のままだった。  何もしていなければ間違いなく世界は終わっていた。  しかし、曾祖母が視た新たな未来……エレンの両親が命を懸け、エレンに力と思いを託す事でこの『終焉の大火災』を止められる未来を良くも悪くも視た。 「ひいおばあちゃんは全てを離した時に泣き崩れていたわ。私達を犠牲にしてエレンから親を奪うぐらいなら世界が滅ぶのも仕方がない……ってね。 でもね、私はひいおばあちゃんからその話を聞いた時に、何故か全然怖いと思わなかったの。寧ろ私達の存在で世界を――エレンを救えるなら、それ以上の事はないなって」  とても辛く過酷な話をしているのにもかかわらず、エレンは悲しさよりも、母親から伝わる溢れんばかりの優しさや愛情を感じて心が温かくなっていた。 「だから私に迷いはなかった。ひいおばあちゃんは勿論最後まで反対していたけど、それは勿論私の事を思ってくれての事だし、ママ1人だけじゃなくて、パパも支えてくれた。 それに何より私はその話を聞いた時に、これは自分にしか出来ない使命だとも思えたの。 でもその私の決断は私だけの問題ではなく、貴方にも随分と辛く寂しい思いをさせてしまったわ。今日という日を迎えるまで、貴方はきっと1人でたくさん悩んでたくさん葛藤してきたわよね。私は全部知ってるわ。 だって、エレンの見えないところからでもずっと貴方の事を見ていた。ずっとエレンの事を思っていたもの。勿論パパもね。確かに近くにいてあげる事は出来なかったけど、私達はちゃんとエレンの傍にいたから」  嬉しさ、寂しさ、暖かさ、切なさ……。様々な感情が入り乱れるエレンは涙を溢れ出させる。  ずっと欲しかった言葉。  ずっと聞きたかった母親の声。  自分の事を無償の愛で包みこんでもらったエレンは、自分のこれまでの辛い過酷な人生にようやく意味を持つ事が出来たようだ。 「ゔゔッ……ママッ……」 「大きく、そして強くなったわねエレン。ありがとう。私に会いに来てくれて」  この時間が永遠に続いてほしい。    しかしそれは決して叶わない。  母親は勿論、エレンもその事は分かっていた。  欲を言い出せばキリがない。  だが自分の母親が運命を受け入れたように、今度は自分が運命を受け入れ、そしてその使命を果たす時が来たのだ。 「エレン。この時間には限りがあるわ。準備はいいかしら」 「……うん――」  抱き合っていた2人は覚悟を決めた様な表情。  向かい合い、互いに力強い真っ直ぐな瞳で意思を疎通させている。  エレン、そして母親のエメラルドグリーンの瞳が数秒見つめ合った後、同時に頷いた2人は遂に動き出した――。 「私がしっかりサポートしてあげるから、エレンは何も考えずにただ『終焉の大火災』を止める事だけに集中しなさい」 「はい!」  2人を包み込んでいた球体の炎が弾けるように飛散すると、再びアッシュ達の前に姿を現したエレンの体は神秘的な金色の輝きを発していた――。
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