14人が本棚に入れています
本棚に追加
第19章 出雲王朝
素戔嗚や大国主が王として登場する出雲王朝は神話の世界での作り話だという説もありました。
しかし昭和59年(1984年)に出雲の荒神谷(こうじんだに)遺跡でそれまでに発見された数を合わせたものを凌駕する358本の銅剣を初めとして、6個の銅鐸、16本の銅矛が出土しました。
更には平成8年(1996年)に、出雲の加茂岩倉遺跡から39個の銅鐸が出土されました。1つの遺跡からこれだけの数の銅鐸が発見されたのは加茂岩倉遺跡が初めてです。このような結果に至って、出雲が青銅器王国であったことが誰の目にも明らかになったのです。一方、銅鏡がただの一つも出土されていないことから、そこがヤマト王権とは別の勢力であったと考えられています。
更には平成12年(2000年)に、出雲大社境内において巨大な柱根が発見されました。それは直径1.5メートルもある杉の巨木を3本束ねた3メートルにも及ぶもので、それが九組も立っていたのです。出雲大社の宮司家(千家(せんげ)家)には、同様の柱が描かれた「金輪御造営差図」が残されていて、この図が間違いないことが証明されました。出雲大社は造られた当時、高さが16丈(48メートル)もあったといいます。
太郎さんは出雲王朝に関するこのような解説を読んで「金輪(かなわ)」という言葉に引っかかりました。それは太郎さんの父が、荒川の墓の家紋が「優曇華の花」をデザイン化したものだと言っていたことを思い出したからです。「優曇華の花」は三千年に一度咲き、その時に金輪王が姿を現すと言われています。
実はこの「優曇華の花」には、別のエピソードもあります。それは太郎さんが生まれる少し前のことです。太郎さんの先祖を祀っている仏壇に「優曇華の花」が咲いているのを太郎さんの父が見つけたのです。
恐らくそれはカゲロウという昆虫の卵だったと思われます(カゲロウの卵も優曇華の花と言われることがあります)が、そのことを太郎さんの父が太郎さんの祖母に話したことがあったそうです。
しかし、それから少しして太郎さんの祖母が他界したので、太郎さんの父は「優曇華の花」は不吉なことが起こる前触れだったのかもしれないと太郎さんに語ったそうです。しかし、太郎さんの祖母の喪が明けた頃、太郎さんが太郎さんの母のお腹に宿ったのです。ですから、寧ろあの「優曇華の花」は、太郎さんの誕生を予言していたのかもしれません。
出雲王朝に関係する話はまだあります。ある時太郎さんはたまたま知り合った陰陽師にあなたの右足首に赤い龍が絡みついている。きっと前世ではどこかの王だったのでしょう、と言われたことがありました。陰陽師は平安時代だけにあった職業ではなく、現代にもいます。例えば彼らは警察から依頼を受けて普通ではない亡くなり方をした人の供養などを行っています。
太郎さんは陰陽師にそのようなことを言われた時、自分の前世はエジプトの王だったのか、フランスの王だったのか、それとも琉球の王だったのだろうかと無意味に名を連ねていました。しかし今になってその陰陽師の言葉の意味がはっきりとわかったのです。
「自分は出雲王朝の末裔だ」
太郎さんはそう思ったのです。そこで次に太郎さんは、太郎さんの先祖である安部一族が出雲王朝と繋がることを証明してみようと考えました。
最初のコメントを投稿しよう!