奥州安部一族の正体

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第14章  苗字 「そもそもうちはどうして吉田と名乗っているのだろうか?」  そんな考えが突然太郎さんの頭に閃きました。太郎さんは二郎さんからの電話を切った後、朝倉義景公から家紋を贈られた時に、ついでに苗字も朝倉に変えたら良かったのではないかと思ったのです。 しかしそうはならなかった。そうはしなかったのです。吉田に対するこだわりがあったからでしょう。そう思うとその吉田という苗字はいつから、どんな経緯でそう名乗っているのか気になったのです。  そこで太郎さんは苗字についてインターネットで調べてみることにしました。すると現在、誰もが名乗っている苗字は、殆どが500年前からのもので、江戸時代になると武家以外は公の場では名乗れなくなったものの、明治になると再び誰もが名乗れるようになったとありました。 「じゃあ500年より前はどうだったのだろうか?」  次に太郎さんはそう思いました。それについては、500年より前になると殆どの苗字は「源平藤橘」、つまり源氏、平氏、藤原氏、橘氏に遡るということがそこには書かれていました。 そこで太郎さんは、太郎さんの家が吉田になる前はこれらのうち、どの苗字だったのかを知りたくなりました。ただ太郎さんの場合はこのことについて有力な情報がありました。それは先祖が「安部一族」だったという祖父が父に語った口伝です。  安部一族とは、かつて陸奥・奥州の地に栄えた大集団です。平安時代には京を凌ぐ勢いでした。しかし、前九年の役が終息した年(康平5年=1062年)に、朝廷と清原氏の連合軍によって解散させられました。  太郎さんの祖父の話だと、太郎さんはその末裔だというのです。前九年の役の後、安部宗任(あべのむねとう)は四国の伊予国(現在の愛媛県)に配流されましたが、その後その子孫が出雲吉田村に移り住んで吉田と称したことが吉田氏の始まり(出雲吉田氏)だとされています。  太郎さんはここまで調べると、なるほど祖父の言った安部一族と吉田という苗字がしっかり繋がったと確信しました。 次に太郎さんは出雲吉田氏を調べてみました。すると吉田と初めて名乗った人物は吉田厳秀(いわひで)という人でした。鎌倉時代から戦国時代にかけて、近江国(滋賀県)南部を中心に勢力を持っていた守護大名六角氏の家臣だったようです。  吉田厳秀の嫡子は吉田泰秀といい、出雲国吉田城の城主になりました。その後、秀信、秀長、清秀、清員、清邦、基清、豊弘、秀弘と続き、吉田秀弘の時に滋賀県竜王町に移って吉田館(よしだだて)という城を構築しました。  太郎さんは自分の先祖が陸奥・奥州から四国へ移り、更には出雲、そして滋賀へ転々としたことを初めて知ったのです。吉田の系譜はまだ続きます。 吉田重賢(よしだしげかた)  吉田秀弘の嫡子であるこの人物は、吉田館から名を変えた野寺城の城主となり、弓術日置流宗家、日置弾正に師事して弓術吉田流を開眼したとありました。近世以降の弓術流派のほぼ全てはこの吉田流の系統に属するそうです。また、吉田重賢は室町幕府第12代将軍足利義晴の弓術指南役をしていたとありました。将軍家弓術指南役だったのです。  太郎さんは意外な展開に少し困惑しました。先祖が弓術の宗家、名人、しかも将軍家弓術指南役だったのです。ちょっと信じられない気がしたのです。ところがその時、父から聞いたある話を思い出しました。それはこんなことでした。 「太郎さんの伯父が大東亜戦争前に弓の御前試合で千人抜きをして、その時に天皇から日本刀を下賜された」 太郎さんはこのことを思い出すと、自分の先祖にそのような人がいても全然不思議な話ではない、寧ろ当然のことだと思い直したのです。そこで次に太郎さんは、「弓術吉田流」について調べてみることにしました。すると、吉田重賢の嫡子、吉田重政について書かれた大変興味深い論文を見つけたのです。 それは、東北学院大学の「日置流吉田流の伝播と伝承」という論文でした。そこには、2代目宗家吉田重政が主君の六角義賢公から家伝の伝授を求められるがこれを拒み、越前朝倉家に6年間、身を寄せたとあったのです。この時の朝倉家の当主は朝倉義景公でした。 「ここでようやく朝倉義景公と結びついた」  そして太郎さんの頭には朝倉家の家紋が浮かびました。 「それに朝倉義景公は弓の名人だったと二郎が言っていたな」 これらのことに気が付いた太郎さんは、次のように結論を出したのです。つまりこういうことです。 「朝倉義景公は、太郎さんの先祖である弓術宗家の吉田重政を6年間囲っていた。その間当然弓を教えてもらったことだろう。そして名人級に上達した朝倉義景公は、お礼に『三つ盛木瓜』の家紋を贈ったに違いない。家紋を頂いた吉田重政は朝倉氏に憚ってその家紋を丸で囲った」  太郎さんは思わず笑みがこぼれました。そしてこのことをすぐにでも二郎さんに伝えたくなりました。しかし既に花子さんは黒留袖を注文していたので、特に急いでこの話を二郎さんにする必要もないと判断しました。それでそのまま弓術吉田流のことを読み進めることにしました。
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