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第18章 雲
太郎さんは、今頃になって二郎さんが黒留袖の家紋のことで不備があったと言って来たのではないかと心配になりました。しかしそれにしては前回、二郎さんに家紋の話をしてから時間が経ち過ぎているとも思いました。
「ううん。家紋の話じゃないんだよ。家紋については無事花子の黒留袖に『丸に三つ盛木瓜』の家紋がついて仕上がってきたからね。だから彼女は大満足してるよ」
「じゃあ今日はどうしたんだ?」
「実はね、兄さんが福島で撮って来た江戸時代の墓の写真なんだけどね」
「あれがどうかしたかい?」
「あそこに戒名が刻まれていただろ? 『凉雲』って」
「うん」
「親父の戒名は覚えてるよね?」
「『一雲』だろ?」
「そう。名前が一(はぢめ)だったから、それに雲が付いてる」
「じいさんは確か『昌雲』、昌弘という名前だったからな」
「そうだよ。それで兄さんが死んだら『太雲』、僕は『二雲』になるんだって話をしたじゃないか」
「そうだったね」
「江戸時代の墓の戒名にあった雲ってどういうことだろう」
「え?」
「雲って何かうちの系譜に関係があるんじゃないかなって、兄さんから送られて来たあの写真を見て、そう思ったんだよ」
【戒名の通字】
その瞬間、太郎さんの脳裏にはその言葉が閃きました。名前の通字というものは時々耳にします。有名なところでは徳川将軍家の「家」という字が通字です。家督者の諱(いみな)に代々共通して用いられる文字のことです。それは太郎さんの家にもありました。「傳」という字です。傳助、傳重、傳吉、傳一、傳吾などの先祖や親戚の名前にたくさん使われています。
しかし太郎さんは戒名の通字という話は聞いたことがありませんでした。それが弟の二郎さんに指摘されて初めて気が付いたのです。
「雲とうちが関係あるって?」
しかし、太郎さんがそのことに気がついても、それに関してはまるで取っ掛かりがありませんでした。そうなるとあれこれ慌てずに初めに戻って考える、というのが太郎さんのやり方でした。そこで雲に関するキーワードを見つけるために、安部一族の時代から先祖の軌跡を再び見直してみることにしたのです。
「あ」
するとその作業を始めてほどなく、太郎さんの目に「出雲吉田氏」の「雲」という字が飛び込んで来ました。今回の先祖探しにおいて、出雲吉田氏は単に通過点としか考えていなかった太郎さんは、そこに大事なヒントがあったことを見落としていたのです。
太郎さんは改めて出雲吉田氏について文献を確認してみました。すると以下のことが目にとまりました。
●四国に配流された安部一族は出雲に移り、そこで城を構えた。
●出雲吉田氏の家紋は「三つ盛州浜」である。
戦に負けて四国に配流された、言わば捕虜の身だった安部一族が、城を持つまでになったということは、考えてみるとすごいことです。人としての権利を回復したという意味を超えて、その土地の王になったことを意味するからです。ただ、王になる地をどうして先祖が出雲に選んだのか、それが謎です。
それから、「三つ盛州浜」のこの家紋。これは雲に見えないでしょうか?
雲が一つではなく三つ重なっている意味は、「たくさんの」ということを表しています。「たくさんの雲」、それは「八雲」という言葉を想起します。「八雲」とは「八重になった雲」のことです。そして「八重」とは、「八つ」ということではなく、幾重にもたくさんということを指しています。
つまりこの「三つ盛州浜」は「八雲」を表しているのではないかと太郎さんは考えたのです。
「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
これは、素戔嗚が出雲の地で詠んだ日本初の和歌だと言われています。そのことを知っていた太郎さんは、太郎さんの家の戒名に通字の如く使われている「雲」が、出雲を指しているのではないかと考えたのです。
「しかしうちと出雲に、何か特別な関係があるのだろうか?」
太郎さんは落ち着いて考えてみると、自分の発想は突飛過ぎるのではないかと思いました。それは出雲、島根県、中国地方に親類がいるという話を一切聞いたことがなかったからです。先祖が一度だけ出雲に移って、そこで城を建てただけに過ぎない。そう太郎さんは思いました。
しかし太郎さんの家と出雲には強い結びつきがあったことはすぐにわかりました。それは太郎さんの祖父が厳しく戒めていた家訓を思い出したからです。
その家訓とは「決してキュウリを食べてはいけない」というものでした。先祖が戦から逃げる途中でキュウリ畑に迷い込み、キュウリの弦を絡める串に目を突いて隻眼になったからだ、と父が幼い太郎さんに話したことを思い出したのです。
その目を刺した人物は誰なのか? ということですが、実は福井県福井市網戸瀬町に同じような話が伝わっていることを太郎さんはネットニュースで知ったのです。それは、地元の八坂神社の祭神である素戔嗚が雷鳴に驚いてキュウリ棚に逃げ込んだところ、棚の柱が片方の目に刺さって失明し、キュウリが嫌いになったという話が伝わっていて、地域の氏子は決してキュウリを食べないというのです。そして素戔嗚といえば、出雲王朝の初代王と言われています。
福井市網戸瀬町の八坂神社氏子総代は吉田さんといいました。しかも先祖は越前朝倉家の家臣だったそうです。ただ太郎さんの家とは家紋が違っていたので、血縁ではないようです。しかし太郎さんは何か因縁を感じました。
太郎さんの家に伝わる口伝からわかることは、目を刺したのは太郎さんの先祖です。そして目を刺したのは、福井市網戸瀬八坂神社に伝わっている話からも素戔嗚でしょう(実はこの後もう一つ、太郎さんの家にとって重要な神社に伝わる話がキュウリと素戔嗚を結びつけることになったのです)。ですから、太郎さんの先祖は素戔嗚ということになります。
太郎さんは素戔嗚の話が単なる神話だと思っていたので、この結論には俄かに同意できませんでした。そこで太郎さんは、視点を素戔嗚に向けてもう一度先祖の軌跡を探ってみることにしました。
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