奥州安部一族の正体

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第5章 曾祖父の戸籍  市役所からの封筒を太郎さんが興奮気味に開けると、中には幾重にも折り曲げられた戸籍の束が詰まっていました。それを引っ張り出すと、真っ先に目に飛び込んで来たのは、古めかしい名前と見慣れない元号でした。 「戸主 吉田傳重 天保十一年四月三日生」 その戸籍にはそう書かれていました。その人物は祖父の父、つまり太郎さんの曾祖父です。しかし太郎さんは天保11年が西暦では何年に当たるのか即座にわかりませんでした。そこでスマートフォンのアプリで調べてみると、それは、1840年であることがわかりました。今から184年前です。 曾祖父は今から184年前の天保11年に福島県で生まれたんだ」  そしてそう独り言を言うと何故か嬉しくなったのです。それがどうしてなのか理由はわかりませんでしたが、何か胸の内側に温かいものがこみ上げて来て、それと同時に幸せな気持ちに包まれたのです。それはもしかしたら、184年という長い時間を隔てた自分の先祖と繋がったことから来る感情ではないかと太郎さんは思いました。  太郎さんが改めて曾祖父が戸主となっている戸籍を見ると、曾祖父吉田傳重の右隣には「前戸主」という続柄で曾祖父の父、つまり太郎さんの高祖父の名前も記載されていました。そこには吉田傳助とあります。但し生年月日の記載はありませんでした。  曾祖父吉田傳重の左には妻という続柄がある曾祖母の名前、生年月日、婚姻年月日、旧姓などが記載されていました。  それから曾祖母の左の方には祖父の名前、生年月日が記載されていました。しかし続柄は「長男」ではなく、「子」という表示でした。しかもよく見ると祖父の父の欄には、曾祖父の名前がありません。 「『子』ってどういうことだろうか?」  太郎さんはその意味がわかりませんでしたが、それはそのままにして、次に祖父の隣の欄に目を移しました。そこには「養嗣子」という続柄で男性の名前が記載されていました。生年月日は祖父より3年後のものでした。ですから祖父の弟です。そして祖父同様に父の欄には曾祖父の名前はありませんでした。 「養嗣子というと養子だよな?」  太郎さんは父親から(太郎さんからみて)祖父には弟がいるという話を聞いていましたが、その人が養子だったという話は聞いていませんでした。 ●祖父の父の欄には曾祖父の名前がなかった。つまり私生児だということだろうか? つまり父親に認知されなかった子供だということだろうか? しかし曾祖父と曾祖母は結婚しているし、よくわからない。 ●祖父の弟は養嗣子という続柄だったので、家を継いだということになったのだとすると、祖父はその後どうなったのだろうか?  祖父の弟は傳吉という名前でした。曾祖父が傳重、そして高祖父が傳助という名前だったことから、太郎さんの家では家を継いだ人には「傳」という字が用いられたようです。すると太郎さんにはもう1つ疑問が生じました。 ●祖父は家を継がなかったので、福島から東京に出て来たということだろうか?  福島の市役所から送られて来た封筒には、「これ以上古い戸籍はありません」と書かれた書面が同封されていました。つまり、戸籍ではこれ以上前の先祖はわからないということです。  太郎さんが184年前に生まれた曾祖父まで先祖を遡れたのは満足のいく結果でしたが、同時に幾つかの疑問が生じました。勿論家紋の正体については何もわかっていません。どうにかしてそれらの謎を解き明かしたいと思ったのですが、現段階では良いアイデアが浮かびませんでした。
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