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第7章 先祖の地
福島県常葉町は、東京駅から新幹線に乗って福島県の郡山駅まで行き、そこから磐越東線に乗り換えて、磐城常葉駅まで行ったところにありました。
郡山までは快適な旅でしたが、磐越東線の連絡は悪く、1時間も待ち時間がありました。一旦駅を出て、バスで行く方法がないものかとバスの時刻表を確認すると、磐城常葉駅まで行くバスが出発するのは1時間後でした。するとバスよりは乗車時間が短いだろうと思い、磐越東線で目的地に向かうことにしました。
磐越東線は電化されていない路線で、山々に囲まれた地域を走り抜けます。トンネルが幾重にもあり、そこを抜けると川や田畑が突然目の前に広がりました。先ほどまでの都会の景色とはみるみる変わって行きます。それにつれて太郎さんの期待がどんどん膨らんで行きました。かつて先祖がこの土地で生きていたのだと思うと、特別な思いがして来ました。
そうやって30分ほどで太郎さんは磐城常葉駅に降り立ちました。そこは無人駅でした。無人だったので駅前にはタクシーも停まっていません。そこで駅の構内に張り出されていたタクシー会社に電話をかけて一台回してもらうことにしました。行き先は曾祖父の戸籍の本籍と同じ地番の住所です。
「もし今もそこに同じ苗字の家があったらどうしよう」
太郎さんはそんな期待をほんの少しですが胸に抱いていました。しかし残念なことに、タクシーが到着した場所には太郎さんとは違う苗字の人が住んでいました。祖父の弟がかつてそこにあった家を相続して100年以上の時が経っています。その間に色々なことがあって、そこを離れることになったのでしょう。行き先も最早わかりません。父の代にその家とは連絡が途絶えてしまっていたからです。
「でもせっかく来たのだから」
しかし太郎さんはそう思って、勇気を出し、その家のドアフォンを押してみることにしました。昔そこに住んでいた家について何か知っているかもしれないと思ったのです。
「どうぞ」
すると中から声がしました。どうぞと言われても、きっとご近所さんが訪ねて来たと思っているのでしょう。それでは、はいわかりましたと気軽に玄関に入る気にはなれません。そこで少し玄関の外で佇んでいると玄関のドアが開き、中から年配の女性が顔を覗かせました。
「あ」
そして太郎さんの顔を見るなり、この人は誰だろうという表情になりました。太郎さんはその家を訪ねた理由を丁寧に説明すると、ようやくその女性は状況が飲み込めたようです。
「私は嫁に来たので、ここに昔住んでいた人のことは何も知らないのです。ただこの地域には吉田さんという家が20くらいあります。そちらに聞いていただければ何かわかるかもしれません」
その女性の話は残念な結果でした。ただこの地域には約20の太郎さんと同姓の家があるということはわかりました。そのいずれかが先祖のことを知っているかもしれないという希望がわきました。太郎さんはその女性にお礼を言うとそこを立ち去りました。
そこからは、一番近い墓地まで歩いて五分ほどでした。その途中には神社がありました。太郎さんはもしかしたらそこが先祖の氏神だったかもしれないと思い、そちらに寄ってみることにしました。するとその判断は正しかったのです。
先ず神社の敷地を囲っている玉垣に祖父の弟の氏名が刻まれていました。次に境内にあった記念碑にも氏子総代という肩書で祖父の弟の氏名が刻まれていたのです。
「間違いない。ここが先祖の氏神だったんだ」
太郎さんはそう確信しました。そこは「子松神社」といって、神社の家紋に当たる神紋は「左三つ巴」、祭神は「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」でした。明徳三年(1392年)に常葉城主赤松越前守顕則公が再建したと境内にあった「子松神社縁起」に記載されていました。
ところで赤松顕則公というと、鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将で、現在の兵庫県の守護大名であった赤松則村の孫です。そのような赤松家とその福島県の常葉町とがどのような関係にあったのかはわかりませんが、もしかしたら先祖が赤松家の家臣だったのかもしれないと、その時太郎さんは思いました。しかし氏神調査はそれくらいにして本来の目的の先祖の墓探しに移ることにしました。
最初の墓地はそこから目と鼻の先でした。氏神がその傍だったので、きっとこの墓地に先祖の墓域があるに違いないと太郎さんは確信していました。
墓地の入り口に到着すると、そこは南に向いた山の斜面にたくさんの墓が階段状に建ち並んでいました。
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