奥州安部一族の正体

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第8章 先祖の墓 階段状の墓地は戦国時代に帰農した武士集団の共同墓地だとインターネットで紹介されていました。そしてそのような墓地は武士だった時の身分に応じていて、身分の高い家は高い場所に墓域があると説明されていました。 「やっぱりうちは戦国時代に戦に負けて帰農した家だったのかな。すると、後はどの場所に先祖の墓が建っているかだな」  太郎さんはそう思うと、とりあえず最上段までのぼり切ってから、順に下って行くことにしました。上に行く途中には「吉田家之墓」と刻まれた墓をいくつも見かけましたが、家紋がうちとは異なっていたので、とりあえずそれらは素通りすることにしました。 ただ最初に「吉田」という苗字を見つけた時は思わず立ち止まって、そこに刻まれた俗名を確認しようかと迷いました。ところが、ふと周りを見回すとそこにはいくつも吉田家の墓域があったので、最初に決めたように最上段から順番に確認しようと思いとどまったのです。 共同墓地の傾斜は急できついものでした。やがて太郎さんが墓地の頂上にたどり着くと、かなり広い墓域になっていました。そして近くにある墓石を確認すると、そこには先ほど訪れた氏神の宮司と同じ苗字が刻まれていました。なるほど、城主を別にすると家格が一番高いのは氏神の宮司ということになるのです。それもインターネットで太郎さんが学んだ知識でした。そこには見た目がかなり古い墓が建ち並んでいました。それらは太郎さんの興味を強く引きましたが、太郎さんの先祖のものではなかったので次の墓域に向かうことにしました。  次に太郎さんは最上段の墓域の脇道を通って1つ下の段に移りました。すると、そこにも大きな墓域が2つ並んでいました。そしてどちらの墓域の墓にも「吉田家之墓」と刻まれていたのです。そこが吉田家の墓域だと知って、太郎さんは少し緊張しました。  太郎さんがインターネットで調べた情報によると、共同墓地内で同じ苗字の墓域が横に並んでいる場合は、「左上右下」というルールがあり、向かって右の方が家格の高い家だと説明されていました。つまり右が本家ということになるのです。そこで太郎さんは手前の方が本家で奥の方が分家になるのだと判断しました。そして両者が本家と分家であれば元は1つの家で両方の敷地も同じ家の所有だったわけです。 分家の奥にはその両方の敷地と同じくらいの広さの空き地がありました。それぞれの墓域面積は約20坪あったので、これら3つを合わせた約60坪がこの吉田家の所有地になるのです。結構な身分だったことを物語っていると太郎さんは判断しました。  太郎さんは、本家と思われる手前の墓域から調べてみることにしました。そこには前列に4基、後列に4基、合計8基の墓が並んでいました。そして後列の左端には見たことがない形状の墓が建っていたのです。太郎さんはその墓に強い興味を持ちましたがその右隣の墓に埋葬された人の名前が刻まれているのが見えたので、そちらから確認することにしました。 「あ」  するとその瞬間、太郎さんは固まってしまいました。そして、なんとあっけない結末だろう、と思ったのです。 そこには戸籍に記載されていた曾祖父、曾祖母、祖父の弟の名前が刻まれていたのです。刻まれた名前はそれだけではありませんでした。その3人の右側には戸籍にはなかった女性の名前も刻まれていました。享年は84、没年が明治19年(1886年)だったので、なんと享和2年(1802年)、222年前に生まれた先祖でした。きっとそれは曾祖父の母親(太郎さんの高祖母)だろうと太郎さんは思いました。 「たくさんある吉田家の墓域から、最初に確認したものが先祖の墓域だったなんて、これはご先祖様のお導きだろうか」  太郎さんは驚きとともに飛び上がらんばかりの喜びを感じていました。 次に太郎さんはその墓域にたった1つあった、変わった形状の墓を確認してみることにしました。戒名は「凉雲妙清」とだけあることから、それは個人の墓でしょう。よく見かける信士や信女という位号もありません。 戒名の左側には、かろうじて享保十年(1725年)造立という文字が読み取れました。今から299年前に建てられた墓です。太郎さんは遥か遠い昔の先祖が今、目の前に立っているような錯覚に陥りました。すると何か懐かしいような、温かいものに包まれているような不思議な感覚になりました。 「でも、このご先祖様は男性なのだろうか、それとも女性なのだろうか?」 太郎さんはその墓を眺めて次にそう思いました。俗名がどこにも見当たらないからです。戒名には「妙」という字が用いられています。「妙」という文字が使われていれば、現代ではほぼ女性に間違いありません。しかし、昔の戒名だとそうとも言えないのです。例えば室町幕府の初代将軍だった足利尊氏公の戒名は、「等持院殿仁山妙義大居士」です。勿論足利尊氏公は男性でしたが、「妙」という字が戒名に用いられたのです。
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