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1 出会い
美しい青。
どこまでも深く、深淵を覗いたような不思議な体感を与えてくれる、夜空の色の宝石。
「出来たぁーーー!!!!!」
小高い丘の上にある、赤い屋根の小さな家。小屋と言っても過言ではないそこで、女は声を上げた。
黒い長髪にあめ色の瞳の彼女は、枯れ木のような体、目の下に深いクマを作り、髪は櫛を入れておらずボサボサ、肌も乾燥しており、その見た目は山姥と言っても過言ではないものであった。
しかし、瞳だけはギラギラと輝き、その顔には喜色が浮かんでいる。
生ものはないとはいえ、物で散乱した室内の中、机の上に広げた魔法陣の描かれたスクロールの上、輝かんばかりの小さな宝石を見つめ、いつも青白いその顔は上気し、血色が多少なりとも良く見える。
「五百年かけた大傑作! 大成功! ぅふぉあっ!」
奇声を上げた女は、その宝石を、手袋をした手でそっとつまみ、用意していた宝石用の箱にそっと入れる。
小屋の中で唯一洗練されたその小さな箱は、ビロード生地で覆われ、クッション材をシルクの布で覆った宝石の台座を入れこんだものであった。そこに宝石を入れ込むと、女には、石の上品さがさらに演出されているように思われた。
そこから小一時間、女は箱の中に入った宝石を、ただひたすら眺める。
そして次の一時間、宝石を眺めながら、とっておきのワインを開け、少しのチーズで細々と晩酌を始める。
満足いくまで飲み、食べた女は、ふと、外から悲鳴が聞こえていることに気が付いた。
何があったのかと外に出てみると、小高い丘から見える王都、その中心にある王宮が、見るも無残に倒壊している。
その残骸を、真っ黒い竜が、まだ足りないとばかりに踏み荒らし、何度も体当たりし、尻尾で殴りつけていた。
その間に、民草は街から逃げ出しているようだ。
女は、その図を見て、はあとため息を吐いた。
こういったことは、ここ数千年にわたって珍しいことではない。
女のように、人里と疎遠気味な存在であっても、噂で聞くことが多い。
人間の王国を潰して回っている、黒い竜。
その竜は、数十年から百年程度の周期で、思い立ったように王国を潰しにかかるのだという。
――屠れ。
竜の姿を見た瞬間、女の頭に、その言葉が鳴り響く。
――屠れ、屠れ、ほふれ。
――そなたの敵を。
――世界の敵を!
「あー、うるさい」
女は再度ため息を吐くと、家の中に戻り、先ほど出来上がったばかりの宝石を見つめた。
そして、ボロボロに着古した普段着の上に、魔法が何重にも織り込まれた真っ黒のローブを羽織り、宝石を収めた箱のふたを閉じ、その箱をローブの内ポケットに収める。すると、声が小さくなっていく。
女は満足そうにほくそ笑むと、ほうきを手に取り、外に出た。
家の外に出ると、目の前に、巨大な黒い竜がいた。
「……おや、こんにちは」
さしもの女も、あまりの大きさ、突然の登場に、目を丸くして固まった。
黒竜は真っ赤の瞳で女を認めると、彼女を視線で焼き殺さんばかりに睨みつけてくる。
そして、目を細めたかと思うと、数瞬後、黒炎を女に向かって勢いよく吐いた。
黒い炎に飲み込まれたかに思われた女は、しかしそのようなことはなく、女も、女の背後に存在する赤い屋根の家も、遠くに見える王宮と違い、原形を保っていた。
「なんてことをするんだ」
女が不満そうにそう言う。
黒竜は軽く目を見開き、口を開け、暫く動きを止めたものの、気を取り直したような素振りで、再度女への攻撃を開始した。
何度も、何度も何度も何度も何度も、黒炎を放つ。
そうして女と赤い屋根の家に瑕一つ付けられなかったという事実を確認し、黒竜はようやく完全に動きを止めた。
固まっている黒竜に、女はようやく肩から力を抜いて、ぼさぼさの頭を右手でかいた。
「気が済んだかい?」
まだ動けずにいる黒竜に、女はただ、真っ直ぐにあめ色の瞳を向け、そうして、ぽつりと呟いた。
「……あの。あんたさ、大丈夫?」
黒竜は、大きく瞳を見開いた。
そのまま、固まること数分。
睨みあっているかのようでいて、実際のところ、ただ見つめあっていただけの二人は、女が飽きたように背伸びをしたことでその状態から解放された。
「よく食べて、よく寝た方がいいよ。じゃあね」
女が去ろうとしたところで、黒竜が小さく炎を吐いた。
それは女にも赤い屋根の家にも届かず、ただ、行くなと言わんばかりに、小さく宙を舞い、そして消えてしまう。
「……」
女が眉根をよせると、黒竜はビクリと体を震わせた。
「あたしは忙しいんだ。用がないならどっか行きな。どうせまた追いかけるんだろう」
そう言って女は、家の中に入っていってしまった。
赤い屋根の家の外には、ただ茫然とたたずむ黒竜が一匹居た。
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