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雪原の彼方に佇む影が見えた。
融け始めた雪を踏みしめて、僕は誘われるように近づいていった。僕を待っていた影もまた、こちらへ向かって来た。
涙が溢れ、視界が揺れる。
「…どこへ行ってた。心配したのに」
僕が掠れた声で尋ねると、晒で片腕を吊った状態のロナンはひらりと下馬した。
「申し訳ございません。失態をして臥せっておりました。代わりにネロを遣わしました」
「わかっている。まったく腹立たしいヤツだった」
ネロが抗議するように何度も頚を上下に振った。
「相変わらず頑固で困ります」
「そうだな。でも、こいつと過ごすのも悪くなかった」
「それはようございました」
ロナンはにっこり笑った。
彼の愛馬は黒く光る鬣を靡かせ、物怖じせず僕を見つめている。
あの力強く、僕を鼓舞するような眼差しで。
首筋に掌を触れ、優しく叩くとネロは鼻面を僕の頬にすり寄せた。
お前も 僕と生きてくれるのか
それに応えるかのようにネロはひと声嘶いた。
‘ 乗れ ’
僕は鬣にしがみつき、背中によじ登った。
鞍に跨がると視界が開けた。
覚えている。あの時もロナンが見せてくれた。
『ナギ様。世界は広いのですよ。いつか私と一緒に見に行きましょう』
まだ幼い僕を腕の中に抱えるように鞍の前に乗せ、誇らしげにそう言った。
「私の祖父はネクロマンサーでしてね。私にも少しだけその力が残ってるんです」
「じゃあ、ネロは…」
「祖父と共に生きていましたから、寿命はとっくに越えています。自由に姿も変えられますし、敵に回すと面倒な相手ですよ」
ネクロマンサーの力は、本来なら死霊を生き返らせ、自分の意のままに操る黒魔術の類いだ。文字通りの影使いの能力とも言えた。
「ネロはお前を主人だと認めているようだぞ」
「ほう。それは初耳ですねえ」
ネロが焦れたように前肢で地面を掻き始めた。ロナンはそんな彼を愛おしそうに見つめ、首筋を優しく撫でた。
「僕はもう王子じゃない。それでもロナンは僕と一緒にいてくれるのか」
「友に身分や歳は関係ないのですよ。共にあり共に笑い、時には共に怒り嘆く。ですが、諍いですら楽しめるのが友です」
喧嘩すらふたりを繋ぐものとなる。
僕には想像もつかない。だが、僕はわくわくする気持ちを抑えきれなかった。
「それなら退屈しなくて済みそうだな」
「では、行きましょう」
「どこへ」
ロナンは微笑んだ。
「私の故郷へ。何もありませんが、ここよりは少しだけマシです」
今日、国と共に僕は消えてなくなる。そして同時に新しく生まれ変わるのだ。
自分らしく生きるために。
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