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干し草の匂いがする。
温かい。
ここは どこだ
薄暗い洞窟の一角に火を起こしてある。
ぱちぱちと火の粉がはぜる音が、辺りに響く。
「起きたか」
低い声が僕に問うた。
長い黒髪をひとつに結わえた、黒装束の男が近づいてくる。
「…お前が助けてくれたのか」
「そうとも、王子様。どうやら城は囲まれたようだぞ」
服の紋章でわかったのだろう。幸いなことに敵国の者ではないようだ。
切れ長の漆黒の瞳は力強く、ともすれば心の内を見透かされそうだ。不敵な笑みを浮かべる整った顔立ちは刃物を思わせた。
「ともかく礼を言う。…他に誰か見なかったか」
「側近の不在が、おおよそ何を意味するかわかるだろう?」
僕は目を閉じた。
ロナンの声がよみがえる。
『貴方様をお守りするのが私の使命です』
彼はたった一人の僕の味方だった。
生みの母を失い、家族の中ではぐれた僕に微笑んでくれた。
彼がいなくなればまた独りに戻る。そうして大切なものを失いながら、僕は生き続けるのか。
突然、僕の腹が盛大に鳴った。慌てて両手で押さえると男が少しだけ口元を緩めた。我ながら気の利かない体に腹が立つ。
「ちょっと待ってろ」
空腹にパンと温かいスープはしみわたった。
たちまち空になった器を見て、男は満足そうな顔を見せた。
「どうする。逃げ遅れた家族を助けるなら、城へ送ってやってもいいが」
僕が馬で駆けつけて囮になり、気を逸らせている間に弟を安全な場所へ。
『お前はテオの影になるのです』
王妃は冷たく僕に告げた。
それがあの城で僕に課せられた唯一の役目だった。
…嫌だ
あそこへは 戻らない
その決意は全てを、家族はおろか城も国さえも放棄することを意味していた。それでも長い間押さえつけていた感情が溢れ、もう止められなかった。
『必ずお迎えに』
僕が信じるのはロナンの言葉だけだ。彼のいない場所に未練はなかった。
僕は黙って首を横に振った。
俯いた僕にも男がふっと笑った気配が伝わった。大きな手で髪の毛をわしゃっと掴まれて、その温かさに不意に泣きたくなった。
「歳はいくつだ」
「…11」
「好きにしろ。俺は構わない」
敬意の欠片もない男の声は、不思議と僕の中に心地よく染み込んだ。
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