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蹄の音が近づいてきて、僕は物思いから覚めた。
誰か来る
こんな所に馬で…
緊張して身構えた僕の視界に、黒衣の影が差した。
「悪い。驚かせたか」
「別に」
気づかれないように肩で息をついたが、男は僕の様子に何か感じ取ったようだ。
「どうした。何を落ち込んでる」
「…ああ。僕が犠牲になれば、全てが丸く収まったのにって」
言うつもりはなかったのに、ついさっきまで考えていたせいだろうか。彼は表情を変えずに淡々としていた。
「お前には生きて欲しい。ロナンはそう言ってた」
思いがけなくロナンの名前を聞いて狼狽した。
「…お前、彼を知ってるのか」
「追手を撒くために、あいつは西へ向かった」
「無事なのか」
興奮を抑えきれずに僕は尋ねた。
「さあ。わからない」
「お前は友だろう。心配ではないのか」
「彼にはやるべきことがある。それに俺は彼の影だ」
影?
どういう意味だ
僕とテオのような関係には見えない。むしろ彼らの間にあるのは友情だと思った。
友を持たない僕には概念しかないが、彼らはお互いに相手を認め、信頼を寄せているように見えた。
彼は僕の表情に口元を緩めた。
「やはり、まだ子どもだな」
僕を嘲笑う彼に腹が立った。幻の存在でも体裁は整えなければ。
「お前。僕を王子と知ってその口を利くとはどういうつもりだ」
「俺は王族になぞ何の興味もない。お前に嫌われても失うものは何もない」
「偉そうに。父上の領地で暮らしているのにか」
彼がとうとう声をあげて笑った。
「とんだ戯言だな。ここは山合の荒野。国王陛下も匙を投げた不毛の土地だ」
自分の世間知らずを指摘され、かあっと血が昇った。それでも僕は、矛盾に押し込められながらここで生きるしかないのだ。
「この地に棲まうなら王家への忠誠は必要だろう」
「権力などくだらん。この世は栄枯盛衰の繰り返し。今の地位にしがみつくなど無意味だ」
王族と言えども、落ちぶれて地を這うような屈辱を味わう可能性もある。現に僕は今、その瀬戸際に立たされている。
わかっている。
自分の存在など、吹けば飛ぶように消えてしまうことがあるのを。
だが、国が残っているうちは、心のどこかで僕はまだ影の役割に囚われていた。
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