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運転を代わり、車は農地を縫って目的地へ向かう。
助手席の彼女がぽつりと言った。
「――昨日の夜、知ったんだけど」
どことなく、言うのを迷っているような、遠慮がちな切り出し方だった。気になって、横目で彼女を伺うが、淡々とした表情からは何も読み取れない。
「どした?」
「その……、桜庭さんの仕業だと思うんだけどね。路上ライブの映像が、ネットに上がっていたの」
「路上ライブって……」
「ほら、二月頃、展望台で。桜庭さんにカメラを向けられて、私上がって歌えなくなっちゃって……。雨風くんが途中で助けてくれたでしょ。あの時の」
――もちろん、覚えてる。
「どうしてまた、今になって?」
「それが、アップされたのは、昨日今日、という話ではないの。どうやら六月の頭みたい。友達に指摘されて、はじめて知ったんだけど」
六月頭っていうと……。
胸がざわざわした。桜庭さんに営業部へ戻らないかと縋られ、お断りした時期と一致する。桜庭さんの報復かもしれない。
「……俺のせいだ。その頃俺がちょうど……」
「あ、違うの。謝らないで」
否定してくれたが、ゆきさんは他人に趣味バレするのをひどく恐れていたはずだ。多分、俺を心配させまいと、平静を装ってるんだろう。
赤信号で停車したので、彼女の瞳を覗き込むと、穏やかに微笑んでくれた。
「本当に大丈夫よ。実はね、動画はもう、友達が手を打ってくれて……。動画投稿サイトの運営会社に、肖像権違反の報告をしたらしくて、今は非公開になってるの」
「でも、一か月以上、ネットに上がってたんだろ? すでにそれなりの数、観た人がいるんじゃ……」
信号が青になり、やむなく俺は前に向き直った。
ゆきさんの落ち着いた声を聞きながら、ハンドルを握る。
「それがね、再生回数は百回にも届いてなかったの。考えてみれば当然かな。有名人ならまだしも、一般人のライブ映像なんて、無料のエンターテイメントがあちこちに溢れてる今の時代に、わざわざ再生する人のほうが珍しいわ。社内に直接動画をばらまかれなかったのが、救いだったかな」
桜庭さんが直接的な方法を選ばなかった理由は、当時彼女が常務に大目玉を食らい、これ以上の問題を起こさないよう釘を刺され、行動を厳しく制限されていたからだと思う。
しかし……楽観していい状況でもない。
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