side:ゆき ビターソング

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side:ゆき ビターソング

 今年は暖冬で、いつまで経ってもコートの出番がないと誰もが思っていたのに、神様が空気を読んだかのようにホワイトクリスマスだ。  田舎でもなければ都会でもない、取り立てて特徴のない凡庸な地方都市。そんな街の駅前地下通路も、今日だけは賑わいを見せている。頭上の案内板にクリスマス・リース。サンタの服を着た、居酒屋の呼び込み。喫茶店の軒先にはオーナメントが煌めくモミの木のレプリカ。  私はギターをひとつ爪弾き、ため息を吐いた。行き交う群衆を、見るともなしに眺める。  勤め人に、家族連れ、学生グループ、そして、カップル、カップル、カップル。 「なにが、クリスマスよ……。あんたらは、クリスチャンかっつーの」  呟きは喧騒にかき消されていく。  私はギターを構えなおすと、マイクに紅い唇を寄せた。  前下がりのボブカットが揺れる。  地下通路に流れるジングルベルに挑戦を挑むように、ギターと自らのハスキーボイスを武器にロック・ミュージックをかき鳴らす。職場から出てきたままの、オフィスカジュアルとハイヒールで。  無から音を生み出す瞬間は、緊張で震える。歌い出しはいつだって、バンジージャンプと同等の思い切りと勇気を伴う。イントロを歌い切った頃には、通り過ぎていく群衆の無関心に打ちのめされる。お前の歌は無価値なのだと無数の背中が語っている。それでも歌うことはやめられない。  そう、就業後の私はストリートミュージシャン。もちろんアマチュア。言うならば、アマチュア・オブ・アマチュアで、いつだって、私の奏でる音楽に足を止める者などいないのだった。――たったひとりを除いて。  あの人、今日も来るかな。  私は群衆の中から、目的の人物を探す。唯一、私の音楽に耳を傾ける人物。  立ち止まる時間は大抵一分にも満たないけれど、その人はいつでも何か言いたげな顔で歩みを止めるのだ。それはたったひとりの観客と言えなくもなくて、私はその人をどうしても特別視してしまう。  誰にも聴かれない音楽より、誰かひとりにでも聴いてもらえる音楽の方が、いいに決まっているから。
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