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「何があったのか知らねえが、松浦さんに続き篠生まで居ないとなると、また営業部は厳しくなるな」
「いや、言っちゃ悪いすけど」
楠木が声を潜めた。
――なんだ? 俺は全身を耳にする。
「篠生はあの見ためだからそこそこ契約取れてるだけで、実力があるかっていと、正直疑問です。欠けてもそこまで痛手とは思えないですね。今回の件も、ある意味アイツの自業自得だと思いますよ」
……………。
「……なんだ、お前ら同期で仲良かったんじゃなかったっけ」
「課長も篠生と比べられる身になってみてくださいよ。こっちは真面目にやってるのに、アイツはヘラヘラしてるだけで、エリートとか王子とか言って持て囃される。まあでも、最後はガワじゃなくて能力が評価されるってことです」
「なんだ機嫌良いな。――あ、もしかしてお前」
楠木が得意そうな声になった。
「実は自分、来週付で、営業部主任になります」
「そりゃあ……」
大出世じゃん、という課長の声が遠ざかっていく。
俺は運転席のドアに手を伸ばしたポーズのまま、石像になっていた。
ぽっきりと心が折れる音を、他人事のように聞いた。
※
張りつめていた糸は切れ、切れてしまった糸は簡単には元に戻らない。
営業車の中から上司に欠勤の連絡を入れたのが月曜日。
で、今日はというと既に金曜日で、あれから俺は一度も出社していない。
時刻は朝の七時半で、とっくに支度を始めていなければいけない時間なのに、身体が言うことを聞かない。枕を抱え、ベッドの上で丸くなる。
行かなければとは、毎朝思うのだ。痛烈に。しかし仕事のことを考えると、胃がきりりと痛み、頭の中に粘性の高い靄がかかった。
モチベーションは、月曜日から迷子のまま、戻ってくる気配はない。寝ることしかしていないのに、いくら寝ても眠い。スウェットの袖で目を擦る。いつもは几帳面な俺だけど、今着ているスウェットは月曜からおんなじやつだ。洗濯機をまわして、ベランダに干す気力が湧かない。眠いのである。
こんなのは、人生で初めてだった。
――もう俺、駄目なのかも……。
弱気な想いが胸をよぎり、息苦しくなってくる。このままではいけない。気を紛らわそうと、スマートフォンに手を伸ばす。ところがそれは充電切れで、真っ暗な画面が自身を映した。
うう、いくらなんでも髭くらい、剃らんと……。
どうにか洗面所へ行き、最低限の身支度を済ませてくる。
充電されたスマートフォンを確認すると、メール受信を告げるポップアップ。
――椿井さんだ。指がふるえた。メッセージを開封する。
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