side:ゆき 雨のち、

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「仕事がやりづらくなるのも嫌で。まあ業務の一環かなと」 「たかが仕事のために、そこまでするの?」 「……どうかしてたな」 「きっと、そこまでして、守りたい立場(もの)があったのね」 「そう……なのかな、うん」 「ていうか、どうかしてるっていうなら、常務もだよ。部下に孫娘との交際を薦めるなんて、なんかパワハラじみてる」  あまりの横暴に、ため息を吐くしかない。 「この件をきっかけに、諸々のストレスが爆発して、身体が出社することへ拒否反応を表しているのかもしれないね。篠生さんは、仕事熱心で真面目だから、猶更」 「仕事熱心って、そんなことない、普通」 「営業部の出世頭、パール化成の王子って言われてるわよ」 「その王子っていうの……やだなあ」  篠生さんが背中を丸めて小さくなった。 「そもそもだけど、どうして篠生さんはうちの会社に?」 「んー……」 「営業職が好き?」 「いいや」 「化粧品が好きなの」 「べつに……全然」  篠生さんは、考えをまとめるように、視線を天井へ泳がせた。 「内定貰った会社の中で一番給料がよかったから、だな。妹の学費と自分の奨学金返済のこともあって。でも、最近、いろいろ状況が変わってさ。ふいに、俺何してんだろうなって思っちゃったんだ……」 「……篠生さんは、たぶん、頑張りすぎたのね」 「へ……」 「ちょっとお休みしなさい、ってことじゃないの」 「……かな」 「気持ち的にどうしても辛いなら、病院で診断書をもらって、思い切って数か月休んでみるのもありかも。私も入社二年めの時、そうして長期のお休みをとったことがあるわ」 「……うん」  小さく頷くなり黙ってしまったので、隣を覗き込むと、両の瞳が水を張って、次の瞬間、零れた。目が合うなり、それは慌てて隠される。 「椿井さん、見ないで」  右手をぶんぶんと振って、私の視界を遮る。 「――めっちゃ恥ずい」  言いながらも、涙はとめどなくあふれるので、しまいに彼はソファーの上で三角座りになって顔をうずめてしまった。
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