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ぶすっとして、篠生さんが言う。
「ゆきさんのおかげだよ」
言葉のわりに、なんだかむっとした声である。
「あの時……会社に行けなくなった時、きみが来てくれなかったら、俺はダメになってたと思う」
「そんなこと――」
ないでしょ、と言おうとしたら、唇に何かがあたった。
「……っ?」
スプリッツァー味の、やわらかい感触。なにが起きたのか、よくわからないうちに、触れた唇は遠ざかる。近い距離から、彼が囁いた。
「……俺、ゆきさんのことが好きだ」
「は――、え……?」
――なんですって?
息がかかるほどの距離感に、じわじわと体温が上がってくる。心臓がうるさい。今、好きって言った? ――っていうかさっきの、キスだよね? え? なにかの事故? ……いや待って。とりあえずいったん落ち着こう。
「か、からかってるんでしょ。そうだよね。だって、篠生さんは私なんかとは……」
――住む世界が違う人だもの。
けれども、それは最後まで言わせてもらえない。
「からかってなんかない」
篠生さんは、どこか傷付いた顔をしている。
「やっぱり、迷惑だった?」
「そうじゃないけど……」
「前にゆきさん、言ってたよな。俺をそういう対象として見たことないって……」
あれは……
「――違う」
思わず大きな声が出てしまった。
「迷惑なわけないよ」
彼がポカンとした顔でこっちを見た。
「だって、篠生さんは特別だから。ただのアマチュア歌手の私に歌ってほしいって言ってくれた時から、ずっと」
堰を切ったように、ひっそりとしまい込んでいた気持ちがあふれ出す。
「私も篠生さんが好き」
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