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「おおもとの動画は桜庭さんが持ってるんだから、今後また同じことが起こるかもしれない。下手したら、社内の人間に動画を直接送ることだってあるだろ。念のため、俺からもう一度、彼女に直接話して――」
「いいって――!」
珍しく、ゆきさんの語調が強くなった。
不思議に思って表情を伺うと、唇がへの字になっている。本日二回目。
「だって……また桜庭さんに言い寄られるかもしれないでしょ」
エアコンのモーター音に紛れて、彼女が呟いた。
「それって、嫉妬……」
「ごほん」
咳払いでごまかされたが、頬が緩んでしまうのを止められない。
「そんなの、心配することないのに」
「……わからないでしょ」
――桜庭さんとよりを戻す可能性は万に一つもないのに、ゆきさんは意外と心配性だ。
「それにね」
まじめな声で彼女が追補する。
「桜庭さん、辞めたの」
「え、いつ」
「先月、かな。雨風くんのすぐあと。だから、社内に動画をばらまかれる心配は、もうないんじゃないかしら」
「そっか……桜庭さんが……」
少し可哀そうな気もするが、したたかな彼女のことだ。どこへ行ってもうまくやっていけるだろう。
「――それより、雨風くん」
「ん?」
ちらりと隣を見ると、切れ長の瞳と目が合った。
「動画に一件だけコメントが入っていたんだけどね」
「へえ、なんて?」
「これ」
コメント欄をスクショしていたらしい。運転中の俺のために彼女が読み上げてくれる。
「――0:43~ いい声。これ隠れた逸材では。どっかで動画出してるのかな?――」
――え、それって。
「……俺のこと?」
「他に誰がいるのよ?」
「えーなんで」
――普通に恥ずかしいんだが。
ゆきさんが、花が咲きこぼれるように笑った。
「確かに上手だったもんね。嬉しかったから、記念に保存しちゃった」
「…………」
「雨風くん?」
「……なんでもねーです」
――不意打ちすぎる。
この人は、自分が晒されたのに、俺のことなんかで、こんなふうに笑ってくれるのか。
ずっと封印していた自分の歌が、誰かの胸に響いたこと。それ以上に、自分のことのように喜んでくれる彼女の存在が愛おしくて、目の奥がツンとした。
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