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「美しい人だ……」
美貌に圧倒されて我を忘れていた竜星がやっと口を開く。危険だ。年甲斐もなくオスの本能が目覚めようとしている。
「ああ、美形で有名なタイヤル族の血を引いている。若く見えるけど、二十八歳だ」
優星は得意げに婚約者に微笑んだ。
け、体はどう見ても三十過ぎだ。
五年前に病気で妻を亡くした四十五歳の優星には、都内で独り暮らしする麻衣という二十歳になる大学生の娘がいる。台湾から連れてきた美しすぎる婚約者の存在を、麻衣は知っているのだろうか?
嵐の気配をあたしは感じた。
「初めまして、お父様。麗華です」
流暢な日本語で麗華は挨拶をした。濡れた目は蜘蛛の巣の粘り気となって男どもの視線も心も絡め取る。
あと十年若ければ、竜星はあたしという愛人をリストラし、この女に乗り換えただろう。いや、さすがに息子の婚約者に手は出さないか……。
ん?
出すぞ、こいつなら。
そういう男なのだと、あたしが一番よく知っている。セクハラなんて竜星には関係ない。今でも昭和のど真ん中を生きている。一回やらせろ、くらいのことは平然と言うだろうし、強引に実現するだろう。むしろ、それで済むならいい方だ。前の奥さんは、あたしのせいで、あっさりと追い出されたではないか。
歴史は繰り返す?
くっ……。
歓談する親子と美貌の婚約者にお茶を出す。柔らかな白い項に女のあたしでさえ吸い込まれそうだ。
「麗華さんは、日本に親戚はいるのかい?」
「一人だけ、チン・メイリンという姪っ子が日本に来ています」
「メイリン? 可愛い名前ですね。漢字ではどう書くのですか?」
あたしの質問に麗華は笑顔で答える。
「《陳美鈴》と書きます。J大学に留学しています」
「へえ、麻衣と同じ大学じゃないか。ぜひ、紹介してあげなさい」
竜星の言葉に優星がうなずいた。
「ところで、八街の家は引き継いでくれるね?」
竜星が切り出した。八街の家とは、江戸時代から権田一族の当主が住む家屋で、今はあたしと竜星、そして、家政婦の津田清美が三人で暮らしている。築百五十年の雑木林に囲まれた巨大な古民家だ。門前に栗の木があって、秋になると幾つか拾って焼き栗にする。大半は落ちるに任せ、車のタイヤが傷みそうなので周囲の雑木林へ掃き捨てる。
「あの家は、社長になった者が引き継ぐべき家ですよね?」
優星の目が冷たく光った。
竜星は、自分の後を継ぐのが長男の優星なのか、次男の秀星なのか、明言を避けている。ひょっとすると、優星には社長としての決定的な欠点があるのかもしれない。
「そうだったな――」
竜星の視線が素早く動く。
麗華を見た!
(まさか……)
鳥肌が立った。
「八街の家に住むのは、Gテック警備保障の社長だ」
昔話の挿絵にありそうな日本家屋は、仏壇と囲炉裏のある広間を中心に左が玄関の土間、その奥が台所、右手に伸びる廊下沿いに和室が並ぶ。トイレは水洗に改装したとはいえ、寝室から渡り廊下を歩いた「離れ」にあって、夏は蚊に食われ、冬は凍える。無駄に高い茅葺屋根の下は板張りの屋根裏で、そこには蚕棚がめぐらされ、もう何十年も養蚕などしていないのに、いまだに独特な匂いが一階の居間へ降りてくる。
極めつけは、あれ、だ。
トントンと足音が聞こえるのは日常茶飯事で、昔の人は座敷童がいるので家が繁栄する、などと笑っていたようだが、現代人にはたまったものではない。
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