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翌朝。
外は、カーテン越しでも分かるほど真っ白な世界になっていた。
「お父さん、見て!外が真っ白!」
どちらかというと大人しいはずの息子が、別世界になった窓の外の風景を見てひどく興奮している。
「よおし、じゃあお父さんと一緒に外に行くか」
「うん!」
やれやれ、今日が休みの日で本当によかった。
こんな状況下で車を出すなんて嫌だからな。そんなことをするくらいなら息子の相手をしていた方がずっといい。
私と息子は、我が家から歩いてすぐのところにある野原にやって来た。
「うわあ……」
息子は、一面に広がる銀世界に目を輝かせた。
私もこの光景は何度も見てきたが、その度にこの美しい景色は、ちょっとした感動を与えてくれる。
ここは周辺を木々に囲まれているせいで、町から少し外れた程度なのに、まるで結界を張られているかのような、外界と隔絶したところに来たような気分にさせる。
北側に目を向ければ、数千メートル級の山々がすぐそこまで迫っている。特に今日のような日は雪化粧でその険しさがより鮮明となり、こんな大自然と対峙していると、自分がちっぽけな一人の人間であることを痛感させられた。
「お父さん、あの真ん中まで行ってみようよ!」
「ああ、転ばないように気を付けろよ」
と、言ったそばから、息子は思いきり転んでしまい、雪のクッションへと勢いよく顔を埋めた。
「あはは、冷たーい!」
息子は雪の感触に感激しきりで、手足をばたつかせたり、雪を手に取って、ぎゅっぎゅっと握っている。
「うわあ、かき氷みたい」
息子は、手の中で球状になった雪の塊を見つめていると、それを口の中へと運ぼうとしたので、私はそれを慌てて制止する。
「あ、やめなさい!雪なんて食べちゃダメだ。雪って、すごく汚いんだぞ?」
「えー、そうなの?」
その時だった。
「汚くなんか、ないよ?」
え?
誰だ、今の声は。
いや、この声は、確かに聞き覚えがある……。
「雪は空から降ってきたものだから、汚れたりなんかしてないよ?」
私は後ろを振り向いた。
声の主は、息子と同じ歳くらいの男の子だ。
しかし……本当か?私は今、幻を見ているんじゃないのか?
「いや、その、空は綺麗じゃないからね、いろんな煙やゴミとか浮いてて、それに水がくっついて凍ったのが雪だから、少なくとも食べていいものじゃないんだ、よ……」
私は今、誰と話しているんだ?これが幻でないのなら、この子は、きっと。
「そう、か。ごめん、なんだか、雪の悪口を言われたみたいに思っちゃったんだ。怒らないでね?」
私は意を決してあの名前を呼んだ。
「なあ、君。もしかして君の名前は、レイ、じゃないか?」
それを聞いた少年は、はっとして私の顔を見る。
「ひょっとして、ユキト君、なの?」
「そうだよ、僕は、ユキト。なあ、君は確かにレイだよな?昔、毎年のように雪が積もっていた頃、ここで僕と一緒に遊んでいた、君なんだよな?」
「わあ、ユキト君だ!会えて嬉しいよ!」
少年は僕に抱きついてきた。
やはりそれは私が子どもの頃に出会った友人、レイであった。
レイと最初に会ったのは、雪の日に私が偶然この野原に迷い込んだときであった。
何故かは分からないが、レイの親は雪の日以外に外出を許してくれないとのことなので、幼い頃の私は毎年雪の積もる数日間のみ彼と会うことができたし、それが私の毎年の楽しみであった。
彼は、この野原の裏の山の中にあるという。
学校のことや、他の友達のことを聞いても、いまいち明確な回答は聞けなかった。
そして、そんなレイを知っているのは私一人だった。
友人に話しても彼を知る者はおらず、親に話しても「あそこから山の方角へは家一軒ないのに」と首をかしげるばかり。
そんな調子なので、誰もレイの存在すら信じてくれなかった。
そしてその日々は自然に消えることとなる。この町に雪が積もる日がなくなっていったのだ。
同時にレイと会うこともなくなり、僕は大人へと成長していくにつれ、あれは夢か、あるいは記憶違いだったのではないかと思うようになった。
誰に聞いてもその存在を知らない、雪の日だけに会うことができ、最後には全く人気のない山奥と消えていく幼い男の子。
冷静に考えてみたら、あまりに非現実的ではないか。
かつては大切な友人との屈託のない記憶であったものが、説明のつかない、何やら気味の悪いものとして、心の片隅に暗く安置されるものとなった。
そのレイが、今、私の目の前にいる。
あのときと全く同じ、男の子のままの姿で。
「ねえ、君は、誰?」
隣で私の息子が困惑しているような声が聞こえた。
「初めまして。僕はレイっていいます。ユキト君とは、ずっと前からの友達なんだよ」
ぺこりと頭を下げるレイに対し、息子はわけが分からないようで、まるで助けを求めるように私の顔を見てくる。
当然であろう。父親と、自分と同じ歳くらいの子どもが古くからの友人なんてあり得ない。私だって、この状況は全く理解できていないのだ。
「僕のお母さんはね、ここの裏山に住む神様なんだ。そこで山に流れる雨水や雪融け水を見守るお仕事をしているんだよ」
レイは信じられないことを平然と口にした。
確かにこの状況から、レイが人ならざる者であろうことは、予想できたのだが(というより、まずそこは受け入れざるを得ない事実と言えるのだが)。
「神、様?お父さん、神様と友達なの?」
息子よ、許してほしい。お父さんにも分からないことだってたくさんあるんだ。今のお前に最適な答えが、私には見つからない。でも、これだけは言える。
「安心しろ。この子は悪魔でも幽霊でもない。すごくいい子なんだ。お父さん、よく知っているんだ」
私は記憶の片隅の黒いベールを取り払った。古い友人を、この雪のように真っ白な気持ちで迎えるために。
「ユキト君、すっかり立派な大人になったから、分かんなかったよ」
「本当に久しぶりだもんな。もう何年ぶりかも分かんないくらいだ」
「毎年雪が積もっていたら僕らも変わらずに会えたはずなのにね」
「そうだよなあ、やっぱりこれも、地球温暖化が原因なんだろうな」
「チキュウオンダンカ?」
「うん、この地球全体が、昔よりも温かくなっているんだよ」
「そうなんだ。何だか僕もそんな気がしてたんだよ。どうしてだろうね?」
「それはやっぱり、僕たち人間が、ものをつくるときに出すいろんなガスが原因だと思う」
「え!?」
レイは私の言葉に目を丸くする。
「人間は、地球の温度を操ることができるの!?」
「え、いや、操るというのはちょっと違うけど……」
「すごーい!山のてっぺんに住む、とってもえらい神様でも、そんなことできないのに」
地球温暖化。
それは明らかに人類の過ちである。
それを、どうやら神の子であるレイは、神通力か何かだと勘違いしているようだ。なんと皮肉なことだろう。
「それじゃあ、僕がこの野原になかなか来れなくなっちゃったのも、地球が温かくなったからだったんだね」
「そうだね……」
私は適当な言葉が見つからぬまま相槌を打つ。今僕は、とても申し訳ない気持ちでいる。けれども、ここで私が謝るのもなんだかおかしな話だ。
「ねえ、レイ君。僕と一緒に、雪だるま作ろう?」
神妙な面持ちの横で、息子がレイに声をかけた。
「うん!」
二人は、野原の真ん中めがけて走り出した。あの時の私たちのように。
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