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・釣ったナマズが喋り出した!曰く、数日以内に大きく大地がふるえると言うのだが……?
神州高山朧月城の麗しき姫君・朧月百合姫は釣りの名人だった。川釣り、海釣り、沼釣りは勿論のこと、天に向かって竿を一振りすれば釣り糸の先の毛針を羽虫と間違えて空飛ぶ燕が食いついたというから、巌流佐々木小次郎あるいは釣りキチ三平と肩を並べる腕前だと褒めて構わないだろう。しかも美人で可愛らしい。これは『釣りキチ三平』のヒロイン高山ユリことユリッペと、いずれ菖蒲か杜若と言ったところか。さて、そんな彼女の手腕をもってしても釣れぬ獲物がいる。その名は鮎川那智。山向こうにある三平三平を預かる代官・鮎川氏の三男坊である。
百合姫と那智は幼馴染で親しい間柄だったので、両家の親は那智を百合姫の婿にと考えていた。百合姫もその気で満々だったのだが、那智の方はその気になれずにいた。若くして婿に収まるより武者修行の旅に出て自分の力を試したいと言うのである。内心は大反対の百合姫だったが「絶対に戻ってくる」と約束されたら惚れた弱みで拒めない。かくして彼女は都へ向かう恋人を峠から見送ったのだった。
辛い別れで傷つき、震える心を癒すのは、釣り以外にあり得ない。百合姫は獲物を求め領内の至る所で釣り糸を垂れた。海では沖に出て巨大なカジキマグロや人喰いザメを釣り上げ、山では各湖沼の主と呼ばれる大物どもを次々と召し捕った。それでも心は晴れない……そんなときは、釣り上げた魚を食うに限る。
百合姫は網を片手に水瓶に近づいた。水瓶の中には数日前に釣り上げた大ナマズが入っている。奇麗な水の中で泳がせ泥抜きしてから食べるつもりだったのだ。さあ、どんな具合だろう? と思って瓶の口から下を見れば当のナマズと目が合った。ナマズは命乞いをした。
「すんませんけど食べんといておくれやす」
ナマズが喋っても百合姫は驚かない。主と呼ばれる連中は、それぐらいの芸は身に着けている。そして、そういう芸のある奴ほど旨い。彼女は涎を垂らしながら言った。
「お前、めっちゃ旨そうやなあ。ぶつ切りにして味噌で煮るつもりだけど、脳味噌だけは生で食うわ」
「いえいえ、それは堪忍しておくれやす。だいたい、寄生虫がおりまっさかい、病気になりますでえ」
「言いたいことはそれだけか? 大人しく網にかかれ」
百合姫が水瓶の中に網を入れるとナマズは暴れながら叫んだ。
「とっておきの情報をお教えしますんで、それで勘弁してつかあさい!」
「なんじゃあ、言うてみい」
「それは命の補償をしてもろうてからで」
「取引できる立場か!」
「じゃあ、教えまっさかい、瓶から網を出しておくれやす!」
百合姫が水瓶から網を出すとナマズは喋り出した。曰く、数日以内に大きく大地がふるえると言うのだが……?
「それは、この辺りのことか?」
「いいえ、都の方どす」
「遠いところだな。じゃあ関係ない。死ね。私の栄養となって、死ね!」
網を水瓶にぶち込みナマズを攫った百合姫は、真珠のように奇麗な歯をガチガチ鳴らし、網の中でもがくナマズに顔を近づけた。哀れなナマズが泣き喚く。
「うわーん! 誰か、誰か助けてー!」
そのとき百合姫の脳裏に愛する青年の姿が浮かんだ。許婚の婚約者、鮎川那智は都で武者修行中なのである。ナマズを食い散らかしてる場合ではなかった。
「やべ! どっすっぺ!」
恐慌状態に陥った百合姫とナマズの運命や如何に!
・初陣の時が迫り、武者震いする若き武将。ところが武者震いが止まらなくなって!?
三平三平を預かる代官・鮎川氏の三男坊、鮎川那智は主君である某大名の京屋敷に寄宿し武芸の鍛錬に励んでいた。早く実戦で手柄を挙げたいと腕撫す毎日だったが、実際に初陣となると全身が緊張で震えた。文字通りの武者震いである。どんな勇将とて初陣の時は緊張で武者震いが止まらないもの……と自分で自分を慰めていたが、いつまで経っても震えが止まらない。周りを見れば仲間も皆、怯えた表情で震えていた。そればかりか、向こうの敵陣にいる兵たちも震え上がって慌てふためいている。やがて地面が真っ二つに割れた。大地震だ!
こうなると戦場は大混乱だ。戦う前から敵味方の兵が戦意を喪失して逃げ出し始める。若き武将の鮎川那智も手柄を挙げることを忘れ逃げようとしたが、地面の深い割れ目に落っこちてしまった。そのうち、その亀裂は閉じた。
百合姫の恋人、鮎川那智の運命や如何に!
・文学賞の選考会当日。結果を待ち、祈りながら見つめていたスマホがふるえだして……!?
地震に巻き込まれた鮎川那智が異世界に転移したことをナマズから聞き出した朧月百合姫は、ナマズを脅して自らを那智のいる異世界へと転移させた……そして始める釣り中心のスローライフ! そんな小説を文学賞へ投稿したエヌ氏は結果を待ち、祈りながらスマホを見つめている。そして遂に、スマホが震え出した。選考結果の通知が来たのだ!
結果は、落選。『ふるえる』がお題で西野カナに触れないのはありえない、とのことだった。
着込んでも寒さに震える部屋にいながら、受賞の妄想で心を温めていたエヌ氏は、真冬に冷や水をぶっかけられたように全身を震わせ始めた。
「え、ちょ、ちょま、ねえ、ちょっと待ってよ! これも一応ラブロマンスなんだけど。それって西野カナっぽくない? トリセツって感じ、しない?」
電気の停まった暗い部屋の中で、そんな繰り言をスマホに向かって呟く。しかし、夜よりほかに聴く者はいなかった。
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