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ホームルームが終わって。
部活がある生徒は飛び出すように教室を去って、そうでない生徒は雑談をしながら帰路へ。
「ねえ、アメユキちゃん。もしかして今日も」
「うん」
日直当番の男子が黒板を丁寧に消していた。
教室には二人の少女と、その男子しかいない。
背の低めの少女は名前をアメユキという。耳の近くで纏めたサイドテールがかわいらしい。円らな瞳は綺麗な二重で、滑らかそうな質感の肌がよく映える。肩に掛けたバッグと背負いバッグを持つ姿はやや危うさを感じる。
「わざわざ行かなくてもいいのに」
「待たせるわけにはいかないから」
「本当、人が良いのね。ついこの前、相手に殴られたばかりでしょ?」
「私が殴られてトラウマで苦しんでいる間は想いを伝えないで待っててくれたわけだからね。行くね」
「付いていこうか?」
「手紙くれた人は私と二人きりで話したいはずだから」
「分かったわ。ただ何かあれば逃げるのよ」
「もちろん。心配しすぎ。ってもう時間」
アメユキは教室を慌てて出る。
ラブレターを取り出した。
差出人の名前はない。一体誰なのか?
場所へ行けば分かる。
アメユキは靴を履き替えて、人の気配がだんだん減っていくように進む。狭い道に着いてさらに一歩ずつ。夏に活気づいて伸びた雑草が足首へ葉を立てる。たまに切れそうになって確認すると、赤っぽくなった線が見えた。
「地図通りだけど、こんなにも遠いんだ」
木の枝が当たって髪が乱れる。
簡単に整えるものの、髪留めを抜けてしまった分を纏め直す余裕はない。
草花が消えると、湿った土が靴に付く。
一体どこへ向かうのだろうか?
「ここか」
どうやら旧体育館の裏らしい。緑のフェンスと建物の間に人が隠れられる余地があった。
ただフェンスの向こうは全く手入れがされず、繁茂する背丈の高い草が視界の限りを埋めていた。
「来てくれたんだ」
「行かないと待つことになって、時間を無駄にすると思うから」
「優しいね」
「そうかな。けど私は優しくありたいって思ってる」
アメユキは声の主を見た。
爽やかな笑顔を見せる好青年だ。
アメユキは胸に手を置いて息を吐く。
まだ殴られた恐怖は消えていない。
「僕は入学式で君を見てからずっと好きでした。僕と友達から始めませんか?」
青年は目を瞑って言う。頬を赤く染めていて、必死に下げた頭に連れられて短い髪が躍った。アメユキは込み上げる熱さを抑える。背負いバッグ、肩掛けバッグを地面に置いた。
「ごめんなさいッ!」
青年は頭を上げる。
ひどく肩を落としていた。
「友達からでも」
「あー、うん」
「理由を聞いてもいい?」
「まだ恋したいって思わないから。私の心は全然幼稚なの」
「いや、僕も急に呼んでごめん」
「私は人を好きになって、こうして勇気を出して気持ちを伝えるのは素敵だと思う。戻ろっか」
アメユキが踵を返した。
……。
アメユキは振り返る。
青年は俯いていた。
アメユキは黙って去ることに決めた。
そこから先はアメユキがどうにかできることではない。
「好き。僕が恋を教えてあげられるのに」
アメユキは聞こえないふりをする。
どうしようもないのだ。
「待ってほしい」
青年は枯れたような声で言う。
でもどうしようもないのだ。
「ねえ」
消えそうな声。
でもどうしようもないのだ。
「あー」
声色が変わった。
アメユキは振り返ろうと足を半歩下げる。途端、皺だらけの手が右肩に乗った。肩が砕けて取れるような強い力だ。アメユキは痛みに耐えて歯に力を入れる。やめて、という声が出なかった。殴られたトラウマが甦る。
「あー、あー」
渇いた声。
「え?」
冷たい息が耳元へ。左肩には骨のような手が乗った。動こうとするが力強い束縛から抜け出せない。目を一度閉じた。身体が震える。
もう一度目を開けると曇った夜だった。
足元に重い水気を感じる。靴に液体が浸みてくる。接着剤のようなものが足を包む。
「いや。なにこれ、なにこれ」
首の裏が冷えてきた。
瞬間、足が掴まれる。
「なにこれ」
ようやく後ろを見ることができた。
好青年はいない。顔中に深い皺を持った目も鼻も耳もない口だけのソレが、ただ笑っていた。背はひどく曲がっており、伸びた両手がアメユキの足首を掴む。ソレの足は地面に埋まっていて、膝から上だけが見えていた。
「え、あ」
「クチャア」
ソレは口から肥大化した幼虫のような気味の悪い舌を伸ばす。生きているようにくねくねと動く。灰色に濁った唾液が糸のように絡む。ぐちゃぐちゃと音を立てながら身動きの取れないアメユキに迫る。アメユキは叫ぼうとするが喉が開かない。湿った咳を立てるだけだ。
「クチャア、クチャア」
舌がアメユキの襟に触れた。すると、灰色の唾液が付着する。ぐちゃぐちゃという音が乗り移る。真っ青な人間の顔が浮かび出した。
「タスケテ、タスケテ」
その顔は歯を剥き出しにするとアメユキの首を噛もうとした。
「きゃっ」
アメユキの微かな声が出た。
「汚い悪霊だな。全く、気配がすると思ったら美少女が大ピンチじゃないか?」
木刀を持った背の高い青年が現れる。瞳が赤く光っていた。
「本体を切ればいいのは楽だな!」
青年は雑に木刀を振り回す。木刀に触れた顔は、肉が焼けるような音と共に消えていく。
そして。
「クチャア!」
「はあ、気持ち悪いな。邪魔だ」
口だけの化け物を薙ぐ。
「ギュアアアアアアッ」
轟音のような断末魔で消滅した。
空が青くなった。まだ日は昇ってるらしい。
「任務完了!」
瞬間、青年は前から倒れた。
「あの」
大丈夫ですか? と続けるつもりだったが。
上から白い塊が落ちてきて、それどころではなかった。
って、頭? ……骸骨?
倒れていた青年が起き上がると、頭にできたこぶを撫でる。
それから骸骨を拾った。
「ん」
「部活用の木刀で悪霊退治するなって? 木刀って格好いいだろ?」
「ん」
「美少女が俺たちを見てるって? 惚れられてるかもな、がははは」
アメユキは頭を抱えた。
頷く無口少年と喋る骸骨の頭。腹話術的なものかと思ったが、化け物を見た後だから分かる。
喋る骸骨らしい。
「ありがとうございます?」
「ん」
「どういたしまして、だな。弟よ、美少女相手に緊張するのは分かるがな」
「喋る骸骨?」
「ん。僕の兄」
「昔やらかして骸骨にされたんだ。解呪できれば人間になれるからな!」
「ん。悪霊倒した」
「ありがとうございます」
「ん」
「俺たちは隣のクラスの者だ。あ、忘れてた」
「ん」
青年は地面で横たわる男子を丁寧に寝かせた。
それから背負いバッグに骸骨を入れる。
喋れるように上の方はチャックを開けている。
「僕は、ナギア。兄はハジメ。よく霊がいる」
「そうだな。確かにこの子は霊に囲まれている気がする。もちろん悪霊ばかりではないが」
「私、霊感はなくて」
「精気が強いのだろうな。人からも霊からもモテモテだ。名前はアメユキちゃんだよな?」
「そうですね。ナギアくんは私と同じ高校一年生ですよね」
「ん」
「アメユキちゃんがかわいいからって照れるなよ! そうそうあれを渡してくれ。勾玉のペンダント」
「ん」
ナギアは後ろに手を伸ばして背負いバッグを漁る。
そして、骸骨を落とした。
「弟よ、普通に痛い」
「うん」
「謝ってくれればそれでよし」
ナギアは円の一部が尖がったような形の石が付いたペンダントを、二つアメユキに渡した。一つは赤色、もう一つは白色である。
「掛ける」
ナギアに言われた通りにする。
視界がモノクロになった。
「慣れれば視界は元に戻る。赤色のペンダントが霊を見やすくする、白色のペンダントが力を与える。赤色については言うまでもないが、白色は特殊だ。そのペンダントをした人物は霊に干渉できる。つまり倒せるんだ。普段は向こうからは干渉できても我々は戦えないからな」
「骸骨さん、どうしてこれを?」
「君は精気が強く寄せてしまうから。あと、良い霊と悪い霊の見分け方を教えよう」
「う、うん」
悪霊、喋る骸骨でもアメユキは混乱しかけていた。
「良い霊は適度な距離で憑くのに対して、悪霊は後ろから抱き締めるように憑く」
「分かった」
「つまりバックハグ状態だ」
「赤色で見て、バックハグみたいに憑いてるのを見つけたら悪霊ってことね」
「俺たちを呼ぶか、逃げるかしろ。つまり悪霊は、ホラーバックハグだッ!」
骸骨は愉快そうに言い切った。
アメユキは死んだような目で骸骨を見る。
「どういうこと?」
「ホラーバックハグだ」
「あー、はい」
こうして、アメユキは骸骨少年に出会った。
そして、ホラーバックハグを探す日々が始まったのだ。
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