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私は目を瞬かせる。
明るくなった室内。
私の想定してた、《エイレーネ》みたいにすっきりした清潔なオフィスでもなければ、シックな木製の本棚に皮表紙の本が並んだ、気位の高い男の人の書斎でもない。
まずドアのすぐ目の前に置かれているのが、鉄製の、天井まである安っぽい本棚。そこにあふれた文献が床にも積み上げられている。
壁に備え付けられたガラス窓つきの戸棚には、なにやら珍妙な収集品。その隣にはまた本棚があって、やっぱり分厚い書籍が乱雑に詰め込まれ、さらに隣の棚には何に使うかもわからない器具がずらり。
目の前の本棚に邪魔されて、部屋の奥まで見通せない。けど、壁の幅から推測するに――かなり、狭い。
……なんか、だいぶ予想と違うんですけど。
肩透かしを食らった気分で固まっていると、本棚の影からぬっと人影が現れた。
ぼさぼさの黒髪に適当な上着、よれたズボン。
身長だけがやたらと高く、黒ずんだ目をした三十代くらいの男性。
「……あ、あの」
「博士に言われてきたんだろ、さっきも聞いた。わかりきったことを何回も言われるのは嫌いだ」
男性は不快そうにじっとり私を睨み、はーっとため息をついてぐしゃぐしゃと癖のついた髪をかき回した。
「……だから嫌だったんだよ……」
「はい?」
「お前、今日から俺の配属だろ?」
「えっと……そうで……っては!? え? え、あなたが上司なんですか!?」
てっきり研究室に居候してるホームレスかと思ったんだけど。
……この人もアウトテイカーだったのか。
「悪かったな、予想と違って。お前、さっき《メテオリティス》に配属っつったな? じゃあ残念ながら、俺が上司だ」
「……いやっ、別に残念ではないですけど」
うん、残念ではない。断じて。
時分で勝手に想像して勝手に落胆して、挙句の果てにそれを表情に出したりしたら社会人失格じゃないか。
……うん、ほら、よく見たら目に光が……ないな。
服だってちょっとしわがよっちゃってるだけでセンスのいい高級品……でもない。
髪は! ……うん、髪はもう、救いようがない。寝癖がついてるか、日頃から手入れしてないかのどっちかだろう。これでセットしているつもりなら、それはそれでセンスと腕前を疑う。
……残念じゃない、残念じゃないぞ。
「必死にブツブツつぶやいてるところ申し訳ないが」
「えっ!? 私声に出てました!?」
「……申し訳ないが、ここに仕事はねぇぞ。勉強したきゃ、この部屋にあるもん勝手に見てけ」
「………………はい?」
今なんと?
「だから、俺は一応アウトテイカーってことにはなってるが、仕事する気はない。依頼が来ても受けねぇ。だから新入りが来たところで仕事はない」
「は、え、ちょ、ちょっと待ってください!? どういうことですか!? 仕事がないっ……ってだって、アウトテイカーなんですよね?」
言われた言葉があまりにも衝撃的で、言葉がまとまらない。
男の人はますます重たいため息をついて、ますます面倒くさそうに喋る。
「だから俺は名義だけだ。仕事はしない。あんなのどれだけやったところで、ただの時間の無駄だろ」
「なっ……!」
心の薄い氷のように煌めいていた部分が、粉々に砕けた。
目の前が、真っ白になる。
――アウトテイカーが。
よりにもよってアウトテイカーが、自分の仕事をそんなふうに言うことが。
すごく、ショックで。
どうしようもなく、苦しくて。
辛くて。
悔やしくて。
悲しかった。
「なっ……なんで、ですか?」
喉が詰まって、声がかすれる。
自分の声じゃないみたいだった。
「……なんで、そんな」
「頑張ったって無駄なものも、世の中にはあんだよ。こんな仕事続けてりゃ、嫌でもわかる」
「……こんな仕事?」
パリン、と。
心のなかで、何かが割れる。
踏み潰されて、砕ける。
透き通るように、眩しいくらいに輝いていた――脆くて割れやすい、ガラスの欠片みたいに。
「なんでっ……なんでアウトテイカーがそんなこと言うんですか? アウトテイカーは、アウトテイカーは最高の仕事です! 人を救う……人に誇れる職業なんですっ……!」
「お前、新入りのくせに上司にわかったような口きいてんな。そんな立派なもんじゃねぇぞ、アウトテイカーは」
「新入りでもあなたよりはずっと、アウトテイカーのことわかります! 仕事を諦めて、目を背けてる人よりは!」
一瞬。
目の前の男性の、雰囲気が変わって。目が細められた。
だけど熱くなってた私は、それを見逃した。
かすかな変化に気づく前に、男性はすぐにさっきの、気だるげな雰囲気に戻っていた。
酷い気分だった。
小さな頃からの私の夢を、目標を。
アウトテイカーになると決めたときの、私のキラキラした心を。
ぐちゃぐちゃに、泥だらけの足で汚された気分だった。
だって私は。ずっと憧れてきたんだ。
かっこいいと思った。
純粋に、凄いと思えた。
アウトテイカーは私にとって、ヒーローだったから。
宝物みたいなその言葉を、本人が貶すことが、すごく、すごく。
「……っ私はあなたと違って、ちゃんと一人前の、立派なアウトテイカーを目指してるんです!」
「あァ、そりゃ御愁傷様。そんなもん、俺の部下になった時点で諦めろ」
「――はあ?」
今日一番低い声が出た。
「諦める……? 本気で言ってます?」
ぎっと、男の人を睨みあげる。
「私に? どうしようもないから諦めろ、って?
――それ、私が世界で二番目に嫌いな言葉です」
はっきりと断言した瞬間、体の奥、心臓の中心に火が着いた。
諦めろ?
諦めろって?
その言葉を私に言った人たちはみんな、最後には前言撤回した。
それは私の逆鱗で、着火剤。
――諦めるもんか。
心がメラメラ燃え盛る。
つま先から指先まで、全身に炎が巡って熱くなる。
――諦めろだって?
その言葉を私に言った人たちはみんな、最後には前言撤回した。
あなたにだって、そうさせてやる。
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