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プロローグ
薄暗く湿った、ほとんど洞窟のような迷宮、その奥深く。
時折、ぴちょん、とかすかに、雫が滴り落ちる音が聞こえてくる。
足元の石畳の隙間から雑草がはみ出し、ときどきまだかろうじて生きている明かりは見つかるものの、危なっかしく点滅していて、目の前はほぼ見えない。
――人の気配はない。
生きる音は、ここにはない。
すべてが死んだ、枯れた場所。
ここで。
かつて、生きて、戦って、歩んで、走って、必死に生きようとして。
そして今はただ、静かに眠る魂を探して、居るべき場所へ連れ帰るために。
「先生、足元気をつけてください。かなり湿ってますので」
「俺よりお前のほうが不安なんだが」
ライトで辺りを照らしながら、一歩一歩、すこしずつ、確かめるように踏みしめて。
この迷宮を、進んでいく。
「……失礼ですね。どういう意味ですか」
「あのな、これでも俺は現役の頃、もっと危険なダンジョンを腐るほど見てきたんだよ。今日初現場のど新人に心配されるほど、腕落ちてねぇから」
「それはどうでしょう? もしかしたらそのど新人が、実はとてつもない才能を秘めてるかもしれませんよ。少なくとも仕事に誇りを持てないサボり魔よりいい仕事できると思います」
「……仕事に関しては確かにまだ見ちゃいないが、それ以前にお前、俺のとこに来てから一週間もしないうちにどんだけドジ踏んだか胸に手を当てて思い出してみろ」
言われてみれば、足をすべらせて転ぶのはもちろん、コーヒー零したり、棚にあったとんでもなく貴重らしい骨董品を粗大ごみと間違えて捨てかけたり(珍しく顔を真っ青にした先生が、すごい勢いで止めてくれたので助かった)、色々やらかしてないとも言えなくはない……かもしれない。
小さいところではボタンを掛け違えて出勤、大きいところではデータ全部消しちゃったり……いや、だいぶやってんな私。
「私が悪かったです」
「おー、そうだな。自覚があんならまだ治る見込みはあるぞ」
私と先生の声が、狭い廊下の中でびぃんと反響する。本当に洞窟みたいだ。
こんな場所で、明かりは手元のライトだけ。
頭上からはしなだれ落ちる萎れた雑草や蔦、そしてたまに頭を直撃する冷たい雫。
こんな不気味な場所だけれど、でも少し前までは、活気に溢れ、命が激しく燃えあがって、人が叫んだ。
この地下の廃墟の、数か月前までの姿は――ダンジョン、だ。
ひんやりと冷たくなった壁に手を当てると、まるで何年か前までこの壁が感じてきた鼓動が、てのひらを通して伝わってくるみたいで。
「……あ? どうした? なにか見つかったか」
「あっ、いえ。なんでもないです」
後ろから相変わらずやる気のない先生の声が聞こえ、私は慌てて壁から手を離した。
……気を引き締めなきゃ。
ここが私の初の現場。
ここから私の、人生が始まる。
ひやりとした風がかすかに吹き込み、肩まで伸ばした私の髪を撫でていった。
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