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「上瀧さん食べる?」
断られるのを前提に訊いたのだが、上瀧は煙草を小皿で押し消して、ビールを飲むと、手を出した。
「え。食べるん?」
「食う」
「かわいいやん」
「あァ?」
「なんもない」
茉莉は口に手を当てて、緩む頬の内側を軽く噛んだ。
「上瀧さん。愛しとーよ」
返事はないが別に気にならない。上瀧が茉莉(じぶん)を愛していないことなど最初からわかっている。それでいい。上瀧がこの体を抱き、作ったものを口にし、ただ傍にいる。それでもう充分だった。
少し休んだあと、後ろから挿入され、奥行きが広がるまで上瀧のもので突かれ、深いところで精を放たれた。空が白む頃まで二回、中に出されたが、最後のほうは夢か現かわからなかった。
湿った温もりが遠ざかり、軋んだ足音を聞いて、僅かに覚醒した。うつらうつらしながら茉莉は薄目を開ける。カラスの鳴き声が聞こえ、辺りはすでに明るいが、まだ早朝なのだとわかった。
「上瀧さん……。また来てよ。鍵、ドアの前の郵便受けに入れとくけん。いつでも来て」
少し間が空いてドアの閉まる音がした。足音が遠ざかる。残った温みと質感を頭の中で反復しながら、再び目を閉じた。
****
タクシーで高宮のアパートに行き、シャワーを浴びて全身を洗い、歯を磨いた。茉莉の体を思い出し、年甲斐もなく没頭してしまったと恥ずかしくなった。
浴室を出ると携帯電話が鳴っていた。ディスプレイには巽の名が表示されている。出ようとしたところで切れた。十数件目の着信だった。リダイヤルでかけ直すと二回目が鳴る前に繋がった。
「今どこ?」
「高宮。どうした」
「本家が親父の弔い早よせえって。俺らのゴタゴタに早よ決着ば着けさせたいとやろ」
「そうやろうな。で、いつや?」
「秦が明後日に斎場押えたって言いよったけん、明後日やね」
「本家に言われたらさすがに松原も来るしかなかろうな」
「そうやね。本家は葬儀の後に日を改めて俺らに話し合いさせるって言いよったごたァ」
「話し合いねェ……」
煙草を探り当て、加えて火をつける。吐き出した紫煙が薄暗い室内に揺れる。
「諒平くん。俺ァ話し合いでよかとよ。死に急ぐことなかろ? 死んだら悲しむ人くらいおるっちゃないと?」
不意に背中に茉莉の感触が蘇る。
「おるわけなかろーが」
「……俺は悲しいよ。わかっとろ?」
巽の声が子供の時の面影を滲ませる。元々強い男ではなかった。優しくて人の痛みで傷つくような繊細な少年だった。次々と敵を闇に屠ってきた冷徹な男が、自分の前になると、弱弱しい少年に戻ってしまう。
「お前に俺は必要ない。俺がおるけんお前は殻を破られんったい」
「……破らないかんと?」
「……いかんやろ」
「なんでよ」
「わかっとろうもん。ガキやないっちゃけん、いちいち聞くな」
「なんでそんなに死にたいん」
「クソみたいな人生にしがみつくのはもう飽いた」
「じゃあ、俺も一緒に死ぬ。俺も生きるの疲れた」
「よかよ。一緒に死のうや」
受話器の向こうで空気が揺れ、巽が何かを言いかける前に上瀧は続けた。
「とでも言うと思ったか馬鹿野郎。てめぇの人生俺にぶん投げてくんなや。いつまで泣き虫の巽ちゃんでおるとや。大概にせえよ。じゃあまた後でな」
と一方的に通話を切った。そしてリダイヤルで松原にかけた。たっぷりのコールの後、留守番電話に繋がる。
「上瀧です。今回の件でお困りじゃないかと思って、差し出がましいとは存じておりますが、連絡差し上げました。生前オヤジが組に戻れたのはオジキのおかげと思っとります。やけん、小さいことでも力になりますので。それだけです。では」
柄にもないことを口にしようとすると難しいもんだと思った。服を着替えて部屋を出る。事務所に戻り、待った。
二時間後に松原の舎弟から連絡があった。思いのほか早かったと思いながら巽に待ち合わせの時間と場所をメールで送った。
現金を詰めたアタッシュケースともう一つ同じものを用意し、指定された割烹料理屋へ向かった。そこは松原の愛人の一人に持たせた店で、早良区にある。市営団地の近くで最近新しく出来たバイパスのおかげで立ち退きの際に小金を稼いだようで羽振りがいいらしかった。真新しい二階建てで、二階の奥の個室へ案内された。
広い個室では松原が三人の舎弟と上瀧を待ち構えていた。
「なんや上瀧、一人か」
「ええ。なにか不都合でも?」
「いや……」
松原と舎弟が困惑気味に目配せ合う。
「オジキは今、不本意でしょうが、巽の命を狙ったことになっとります」
「なんでワシが……」
「心当たりはおありでしょうもん。どうするんですか。このまま巽の手先に消されるのを待っとくんですか」
「藤崎の手先は貴様やろ、上瀧」
松原の舎弟が一斉に上瀧に銃口を向けた。
「中を確認からにした方がよかですよ。まあ、鍵の番号考える時間の余裕がありゃその必要もないでしょうけど」
上瀧が口元だけで笑ってみせると、松原が顎をしゃくって、舎弟たちは銃口を下に向けた。その時、階下から爆発したような大きな音がして悲鳴が上がった。慌ただしい物音がして男が飛び込んでくる。
「大変です! トラックが突っ込んできました! 裏口がありますので皆さん早く避難してください!」
男の声に急かされ、松原と舎弟たちは部屋から飛び出し、非常階段へ走る。その後ろ姿をめがけ、やってきた別の男がサブマシンガンをぶっぱなす。
松原の背後の男たちが崩れ落ち、恐怖に戦いた松原がこちらを振り向いた。
「オジキ、お世話になりました。オヤジによろしくお伝えください」
上瀧はそう言い、アタッシュケースからサイレンサーをつけた自動拳銃を取り出し、両手で包み込むように握ると、引き金をひいた。ガチャン、と切符を切るような音がした。
上瀧は店内の階段をおりて、最初にトラックのことを告げた男に現金の入った方のアタッシュケースを渡した。中型のトラックが入口を押し広げ、粉々になったガラスやぐにゃぐにゃになった金属の部品が散らばっている。外には、客や野次馬で騒然としていた。上瀧が辺りを見回すと、見覚えのあるワンボックスカーがゆっくりと近づいてきた。上瀧の近くで止まり、中から大柄の男が出てきた。
「秦」
上瀧がいうと、秦は微かに会釈した。
「どうぞ」
助手席に乗り込むと、秦は車を発進させた。
「ご苦労さまでした」
「おう。わざわざ来てもろうて悪かったな」
「いいえ。若のご命令ですから」
「若のね」
懐から煙草を取り、くわえて火をつける。
「これからお前も大変やね。巽を盛り立てていかな」
パワーウィンドウを下ろし、外に向かって煙を吐く。車はどうやら港の方へ向かっている。
「どこ行くとや」
その時、背後から袋状のものを被せられ、喉元を絞められた。
「アンタがおったら、巽さんがダメになる」
驚いたが、抵抗はしなかった。殺される相手が違うだけで、死ぬのは予定どおりだった。
「なんであの人はアンタみたいなのがよかとやろうか」
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