大学時代の霧野凛々

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「卒論はどうだった?」 楽しかったと大変だったの半々です。私が普段書かないような作品を敢えて選んで研究して、私の作品の幅が広がったような気がします。 「志賀直哉の『濠端の住まい』だったわね。」 はい。自然と見たままの景色を描く自然観が私には無いものだと思いまして、研究対象に選びました。まぁ、同じようには書けないなとは思っていますが。 「白樺派の作家は他にもいるけれど、なぜ志賀だったの?」 単刀直入に言うと、志賀に憧れているからですね。志賀の作品の中で一番好きなのは『城の崎にて』なので本当は城崎をやりたかったのですが、研究され尽くされている感があったので… 「それはそうね。大変だったのはどういうところ?」 執筆よりインプットが不便であった点ですね。取材も出来ないしやれるインプット作業といえば国会図書館で資料を読むことですけど、全部が全部読めるわけじゃないことに不自由さを感じていました。もっと自由に書けるものだと思っていましたから、窮屈に感じましたね。 「作家だから文章を書くのには慣れていると思っていたけれど、大変な思いをしていたのを見ていました。闘病しながらの卒論だったから尚更でしょ?」 先生には沢山助言を頂きましたね。先生のアドバイスが的確であったから書ききれたのだと思います。闘病中だったのは大きなハンデでしたね。何より集中力が続かない。教育実習と執筆期間が重なっていたこともあってフラッシュバックも酷かったです。論文を読んでいても文字が歪んで見えて。そのことは文章を書くことを生業としている作家としてプライドがへし折られる気分でした。ですが、書き上がった時の爽快感は作品を書いているときと何も変わらなくて心から安心したのを覚えています。 「霧野さんからの要望で優秀卒業論文には選出しなかったけれど、いい卒論だったと思いますよ。」 ありがとうございます。 参加者の中から手が挙がる。 …どうぞ。 『なぜ優秀卒業論文を辞退されたのですか?』 単純に論文としてレベルが低いと思ったからです。物語を紡ぐのと論文を書くのは全く違う。また、私の卒論が公開されたとき私の卒論まで私の作品になってしまうのを恐れたからです。私にとって卒論は作品ではない、自己成長のための養分であるという考えのもと書いたので優秀卒業論文と言われてしまうのには違和感がありました。これから先いかなることがあっても私の卒論が公開されることがないように大学にお願いしてあります。 …ありがとうございました。
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