天狗橋

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天狗橋

 赤いフェアレディZは何度もハンドルを切るとゆっくりと車体を傾けながら細い路地から出た。覆い被さる庭木、黒い瓦屋根、グレーのトタン、薄茶のコンクリートを混ぜた土壁、誰一人歩いていない田舎の町に浮かび上がる異質な赤は、アスファルトの道路を這いつくばるように陸橋の下を抜けて大通りを避けるように裏道をジグザグと走った。 「あ、お寺さん」  銀杏の太い幹が天まで伸びる砂利の境内には保育園の先生やお友だちと遊びに来た事がある。その山門を右手に見ながら前に進むと片道一車線の大通りとは言い難い道に出た。ママは両手で顔を隠すように助手席で屈んでいた。  小さな洋装店と銀行が建つ交差点を一つ過ぎ、細い線路で一時停止をした。その間もママは何かに怯え、男の人からは刺々しいものを幼心に感じた。窮屈な狭い道を抜けて視界が白く開けると、ようやくママはこれで自由になったと安堵の声を漏らした。 「順ちゃん」 「うん」 「天狗橋だよ」  ここは東に聳え立つ獅子吼山と西に切り立った天狗壁に囲まれ、その渓谷には大きな石が転がる手取川が流れていた。 「赤い橋や」 「そうだね」  過去に何度も氾濫したその川には、朱色の鉄橋が掛けられていた。天狗橋と呼ばれるこの橋は隣の辰口町へと続き、その先は田畠が広がる河北町、またその先には手取川が日本海へと流れ込む小松市があった。 「(ただし)さん、どうする?」 「どうしようもない」 「そうだね」 「そうだ」  私が生まれ育った鶴来町から為にはこの天狗橋を渡らなければならない。運動靴を脱いだ私はフェアレディZの狭いリアウィンドウを後ろ向きになって座り、どんどんと遠ざかる鶴来町を不思議な感覚で眺めていた。 「ママ、先生のお菓子食べても良い?」 「食べても良いけど汚さないように気をつけてね」  ポリポリとビスケットを頬張る音、低いエンジン音がその後に続いた。赤い車は小松市を目指していた。
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