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獅子吼の山
赤いフェアレディZは何処に向かうでもなく、同じ景色を何度もなぞった。その振動とエンジン音が心地よく浅い眠りに落ちそうになったその時、ママの声が聞こえた。
「順ちゃん、着いたよ」
「うん」
「降りるよ」
「ここどこ?」
「ママの家だよ」
車を降りると見上げるような高い建物があった。数段の階段を上ると猫の額のようなエレベーターホールがあり、黄色い丸いランプが上から下へと降りて来た。
ちーーーん
臙脂色のエレベーターのドアが左右に開き、正面の鏡にママに手を引かれた私が映った。赤い肩掛けの保育園の鞄は後部座席に忘れて来たのだろう。背を向けた男の人がボタンを押すと、その箱はどんどん上昇して無重力に近い感覚に気味悪さを覚えた。
ちーーーーん
12階
暗い廊下。
ぱちぱちと、ついたり消えたりする白くて長細い蛍光灯。ベコベコと音が響きそうな玄関ドアのノブが回り、暗い部屋にあかりが灯った。
「順子ちゃん、見てごらん」
手招きする男の人に誘われ続きの部屋に向かうとママがカーテンに手を掛けた。ジャラっとカーテンレールが音をたて、大きなガラス窓が顔を出した。私がガラス窓に頬を付けていると男の人の指先が鍵を開け「外に出られるよ」とスリッパを足元に揃えてくれた。少し錆びた手摺りのベランダ、その向こうには今まで見た事がない夜の街が広がり煌めく看板やオレンジ色の街灯がポツポツと等間隔で続いた。
「あれ、何」
その向こうに黒い影が横たわっていた。
「順ちゃん、あそこが獅子吼の山だよ、見える?」
「見える」
「ピカピカ光ってるね、あそこがてっぺんだよ」
「うん、ピカピカ光っているね」
それは獅子吼山頂の仏舎利塔だ。飛行機が接触しないように夜になると電気が点く。私はそれを一番星だと思っていた。そしてその山の麓には私の家がある。保育園もある。あの場所にはその頃の私の小さな世界がぎゅっと詰まっている。
「ピカピカ、小さいね」
「そうね、遠いからね」
「ふーん、遠いってなに」
ママは黙り込んでしまった。喉仏が上下したような音がした。私はいつの間にかこんなに遠くに連れて来られた。それは単なるドライブではなかった。
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