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村瀬はしばらくのあいだ黙ると、つと腰を上げた。坂木の腕に直を抱かせる。
「おれも話しておかなければいけないことがあります。今日の夕方……五時ごろでしょうか。藤堂(とうどう)が訪ねてきました」
「え……!? 藤堂さんが?」
藤堂は村瀬の父、春彦に殺人の指令を出した暴力団、晃塵会(こうじんかい)の若頭だ。高級なスーツを着込んだ体は二メートルを超える巨体である。硬い黒髪を刈り込み、眉は無く、鋭い一重の目をしている。鼻は厳つく鋼鉄の南京錠のようで、口元もがっしりとして引き締まっており、いつも尋常ではない威圧感を放っているのだ。組長の城島(じょうしま)が外に出るときは常にいっしょにいて、彼の護衛をしている。
「と、藤堂さんが、なんの用だったんだ?」
慄く坂木に、村瀬は「ちょっと待っててください」と中座した。
村瀬があるものを持って戻ると、坂木は妊娠中に妻が買ってきたゾウのぬいぐるみで、直をあやしていた。
村瀬は黒い包装紙に包まれた長方形の箱をテーブルに置いた。坂木は目を瞠った。
「あ、高級羊羹。そうそう、台所に置かれてて、どうしたのかなって思ってた」
「あと、これも」
村瀬が紙袋から出して見せたもう一つのもの。三十センチはあろうかというピンクのウサギのぬいぐるみだった。村瀬がウサギの首を掴み上下に振ると、カラコロと鈴の音がする。坂木は唖然としていた。
「え? くれたのか? 藤堂さんが? ……なーちゃんには大きすぎないか?」
「気にするところはそこですか? ……パパとママがあやすときに使えばいいそうですよ」
「え? え? なにこれ」
「出産祝いだそうです。羊羹も。金も置いていこうとしたんですが、突き返しました。それから羊羹とぬいぐるみも返そうとしたんですが、そのときにはもういなくて」
「こ、困ったなぁ」
「ヤクザから出産祝いなんて受け取れませんよ。これ、どうしましょうか?」
疲れ果てた顔の村瀬に、坂木は自分がしっかりしないといけないと思ったらしい。直をあやしながら、
「返そう。全部」
はっきり言った。
「……そうですね」
村瀬はようやくほっとした顔をして、テーブルに置いたスマートフォンをつかんだ。藤堂の携帯にコールする(嫌々だが連絡先は知っているのだ)。
四コール目で、藤堂が電話に出た。
「おう、村瀬か。出産おめでとう。祝いの品、遅くなって悪いな」
呑気にそんなことを言う若頭に、村瀬の美貌は冷え冷えとしている。
「出産祝い、いりませんよ」
「そう言うな。ウサギじゃなくクマがよかったか?」
「ウサギもクマもいらない。今から事務所に返しに行きます」
「旦那と子どももいっしょにか? 泣く子も黙る『皆殺しの天使』が人妻でおまけに子持ちになって、うちの若いモンはみんな泣いてたからな。気が昂ぶってるから、坂木先生に手をあげるかもしれんなぁ」
「……くだらない冗談はやめてください。先生に手は出させない」
「それよりおれがそっちに行ってやるよ。久しぶりに、坂木先生の御尊顔も拝見したいしな」
「あんたが来ると近所迷惑だ。おれたちは静かに暮らして――って、おい、藤堂……!」
通話は切れていた。村瀬は短髪を掻き回す。ため息がとめどなく溢れ出そうになった。
「すみません、倫太郎さん。藤堂がうちに来るそうです」
「え!?」
「座敷に通しておれが相手をしますので、倫太郎さんは直とここにいてください」
坂木の顔が、泣きそうに歪んだ。せいちゃん、と言った声は語尾が震えている。
「だめだよ、せいちゃんだけがしんどい目に遭うのは。おれも藤堂さんに会うから」
「でも……」
「大丈夫だよ、せいちゃん。二人で、返そう」
泣きそうになりながらも、それでも勇気を振り絞ってくれる夫。この人といっしょになってよかったと、村瀬は思う。
直が母親の抱えたうさぎのぬいぐるみを、まじまじと見ていた。
「これは怖いおじさんに返すんだよ、直」
村瀬がそう言ってウサギの体を上下に振ると、カラコロと音がする。直はご機嫌に笑った。
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