嵐の中

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腕を組んで、荒れた海と落ちる雷を見つめ堂々と立つ。私の後ろには青白い顔をした若年の船員が、船に乗せた木箱と共に甲板の上を転がっている。ひっくり返した瓶の水を全部かぶったみたいに、全身が雨に濡れ身体は冷え微弱に震えていた。 これが最後のチャンス。 前回3年をかけて挑戦した航海では、船長・王の死と引き換えに新大陸を発見した。だが上陸するには至らなかった。 そして今回。 大陸目前の嵐に見舞われている。尊敬した前船長の思いを胸に、私が船頭を仕切っていた。 「船長!このままでは、このままでは!船が持ちません!」 船員の声が遠くから聞こえてくる。船を飲み込むほどの大波が迫ってきていた。船がもたないのはわかっている。目前の大陸。私たちはどうしてもあの大陸に上陸しなければならなかった。 「波がっ!船長!」 その声と共に船に乗る者たちの意識は途絶えた。   「あれは・・・?え、誰?大丈夫?意識がないわ。風よこの人たちを私の家まで運んでっ。」 その言葉と共に女性の周りを囲うように舞っていた風が、波打ち際に捨てられた意識のない10人ほどの男性を宙に浮かし飛ばせた。 「ここは・・・」 目を覚ますと青い空、ではなかった。海の上にいるような揺られた感覚も消え失せている。 「どこだ?」 「あらやっと起きたのね。船員さんたちはもうみんな起きているわよ船長さん。」 唐突に扉を開いて入ってきたのは、風を纏う不思議な女性だった。船長さんと呼びかけられただけでなぜか胸の傷が疼いた。かけられた微笑みの表情は、彼女のえくぼと皺を印象付けた。 「どうしたの?」 「あ、あなたは・・・?」 ひと目見ただけで不思議な女性だと感じた。 「私?私はこの家の主人よ。嵐の後、風たちが来訪者が波打ち際にいると教えてくれたから、急いでここに連れてきたの。」 そう言いながら彼女は耳をぽりぽりと掻いた。 「耳、」 「え?何?耳がどうしたの?」 「耳が、長い。耳が長い!ああ、やっぱりあったんだ!船長の言っていたことは合っていたんだ!船長、ようやく!」 「耳が長い?普通じゃない?ここの人たちはみんなそうだけど。あなたの故郷は違ったの?」 本気で首を傾げている。不思議そうなその表情が可愛らしかった。 「これは、大発見だ!早速王に伝えなければ!船を、船は?」 「船?そんなの見なかったわよ、大方嵐で吹き飛ばされたってとこだと思うわ。」 「嵐、そうか。あっ!船員たちは!船員たちはどこに?」 「今ごろちょうど村に着いている頃よ。」 「村!村があるのか!」 「?あるでしょ普通。あなたも行く?」 「んっ!いや、いい。」 「え?いいの?」 「ああ。それよりもまず船を作り直す。作り直して、国へ帰る。それが私のやるべき任務だ。」 「・・・そう。うーん、どうせ暇だし私も手伝うわ。」 「いいのか?」 儚げな表情を浮かべている。正直猫の手も借りたかったので、その申し出はありがたい。 「久しぶりのお客さんだもの。その代わり、あなたの国のお話、たくさん聞かせてね。」 「それくらい安いものだ。」 船を作って国へ帰る。たった今そう決心したのになぜか、私はその未来をはっきりと思い浮かべられなかった。これからの時間が少し楽しみだった。 「もう行くの?嘘だよね?」 船を作り終える頃には、この地を離れたくないという思いが優っていた。私はそれを押し殺しながら、そんなわけはないと否定・拒絶しながら、一人で大きい船に乗り込む。 眼下に見下ろす愛しい人。寂しそうに寄せた皺を見ていると涙が込み上げてきそうだった。船員はいない。ともにこの島に着いた者たちは全員妻を娶り家族を作っていた。私が船を作っている間に。 雨も降っていないのに甲板の上に落ちた水滴を隠すかのように、私は静かに背を向けた。 「行くさ。私は、私は前船長と王の言葉を真実にしなければならない!」 舵を回す。二人で作った船はぎこちなく彼女に背を向ける。 「すまない」 海風にかき消されるほど小さな声で私はつぶやいた。彼女の寂しそうな顔が頭に浮かんだ。 島を出て数刻。先程まで晴れていた空は急転。 「また嵐」 数年の結晶である船がギシギシと音を立てている。今にも崩れそうだった。雨は風は容赦がない。この嵐に耐えて。 その思い空しく私はまた海に落とされた。消えゆく意識の中、吹き荒れる風の音は「ごめんね、でも無理だよ、そんなの。」 と言っているように聞こえた。 見覚えのある顔が私を覗き込んでいる。 「やはりか。」 「わかっていたのね。でも私には、あなたが必要なの。」 「それは・・・。だがそれ以上に先人たちの夢を叶えることが先決だ、先決なんだ。すまない、君が何度止めても私は」 「待って、わかってる。だから、私の一生のお願いを聞いて。」 その言葉に驚いた。彼女はそんなことを言わない人だ。彼女らしからぬ言葉に思いの重みを感じた。 「私が、私が死ぬまで待って。」 「死ぬまで?」 「私が死んだら国に帰ってもいいよ。でも私が生きている間は私のそばにいて。」 暖かい手が私の冷たい手に覆いかぶさる。今は海の冷たさより手の温もりに心惹かれていた。 私がここへ来た時よりも心なしか皺が増えた気がする。その皺が愛しいと思ったのはいつからだったか。 「わかった。」 渋々と出した返事。だがそれに釣り合わず顔は笑っていた。 「私ね、あなたに一つ、嘘をついてた。私は、私たちはあなたの何倍も長く生きるの。私はまだ若い方。ごめんね、でもあなたの思いは私が代わりに届けるわ。」 家のそばに立てられた大きな墓石。彼が死んでからいっそう深くなった皺を合わせて、もう返事をしてくれない彼に語りかける。 美しい花々が彼の死を彩り、生涯をかけて作った船がその隣に並んでいる。太陽の光が弱くその石を照らし、小さな風が舞った。 彼女の姿はもうどこにもなかった。
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