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平梓葉のスポーツカーが、簾のような小雨をヘッドライトで切り裂いて宿舎前のロータリーに滑り込んで来たのは、利玖が電話を掛けてから約一時間後の事だった。
直線の道路ではそれなりに速度を出す匠の運転でさえ一時間半かかった道のりである。どこを出発して、どの道をどんな運転で通ってきたのか、利玖は訊かない事にした。きっと、そもそもの設計思想が匠のSUVとはかけ離れているのだろう。
車のボディは白磁のように磨き上げられ、雨粒は一瞬で完璧な球になって、アクセサリィのように輝きながら流れ落ちていく。
「久しぶりね、利玖さん」
「はい。お変わりありませんか、梓葉さん」
「そうね、香水を変えてみたのだけれど、今日は運転するだけだからつけて来ていないわ」
その言葉通り、梓葉は以前会った時よりもスポーティな服装だった。
細身のパンツに、クラッチ操作向きのシンプルなスニーカー。首元がゆったりと空いたコットンのシャツの上に淡いクリーム色のカーディガンを羽織っている。シニヨンにしてまとめた髪は、無造作に見せつつも、優雅な印象を与えるように、いくつか毛束を引き出してあった。
彼女を呼んだ用件は、車の後部座席に収まっていた。
煙草のカートンである。未開封の物が二つだった。
「これはね、スペアなの」
カートンを宿舎に運び入れながら、梓葉は言った。
「あるだけ全部、史岐が持っていたら、今回みたいにうっかり手持ちが一本もなくなってしまう事だってあるでしょう? この煙草は熊野家お抱えの職人に特注で作らせている物だから、普通の店では売っていないの。だから、切らしてしまった時の為に、すぐ連絡のつく人間にある程度まとめて渡しておくのよね」
「では、梓葉さんのお家にはこれと同じ物がたくさんあって、いつもそのうちの二カートン分を車に積まれているという事ですか?」
一箱に何本くらいの煙草が入っているのか、利玖はよく知らないが、いくらなんでもこれから潟杜に帰るまでの間に、この大きなカートンの全部を消費してしまうなんて事はないだろう。今必要な分だけ分けてもらうとしても、せいぜい二、三箱で充分だと考えたのである。
しかし、梓葉はきっぱりと首を振った。
「いいえ。これは、わたしが持っている全部です。今日からは利玖さんの所有物になるわね」
「えっ」
先を歩く梓葉が振り返り、楽しそうに声をはずませる。
「わたし、史岐の事は、もうすっかり利玖さんにお任せする事にしたの」
「そんな、横暴な」
「横暴?」
梓葉は、目をまん丸にした。
「やあね、わたし、横暴なんて起こしていないわよ。利玖さんだってそれはわかっているでしょう? なのに、そんな事を言うなんて、何だかあなたらしくないわ……」
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