一章 或る少女の見解

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 潟杜市を出発したモスグリーンの国産スポーツカーは、県庁のある薙野(なぐの)市に向かう国道を北上し、途中で南東に逸れて県道に入った。  道路の老朽化による連続的な振動に晒されながら、のどかな田舎道を進む。少ない平地にも田畑が(ひら)かれ、何人かがその中で作業をしていた。  集落を抜けた所で、一時停止して、信号のない丁字路を曲がる。  潟杜を出発してから、ここまで、約一時間ほどかかった。  しばらく走ると、ふいに広大な田園地帯が現れた。手前の方にある十字路に、路線バスの停留所と見紛うような簡素な詰め所が建っている。  車を近づけると、中から警備員らしき男が出てきて、誘導棒を振って車を停めた。  警備員は、史岐達の顔と名前を(あらた)め、車のナンバーを確かめると、道の脇に寄って車を通した。 「俺、生きた人間を門番に使ってる家って、初めて見た」  バックミラーに映る警備員の解像度がボードゲームの駒ほどになった頃、柊牙がそう呟いた。  詰め所から先は佐倉川家の私有地で、ナビゲーション・システムは当てにならない。警備員から渡された案内図に従って駐車場まで行き、車を停めたが、周りには住宅らしき建物の影はなく、ただ、鬱蒼と木が生い茂る山があるだけだった。 「なんだあ?」柊牙が調子外れな声を上げる。「狐に化かされたのか?」 「いや……」史岐は、目の前の山と、手に持っている案内図を見比べて、首を振った。「道は間違っていない。たぶん、山の中に家屋があるんだと思う」 「あると思うって、おまえ、行った事ないのかよ」 「ない」 「うへえ」  近づくにつれて、徐々に山の中がどんな構造になっているのかが見えてきた。  (ふもと)から頂上にかけて、造りが異なる建物が点在している。おそらく、それぞれに違った用途があるのだろう。  山頂部分は少し山を切り崩して、均された土地に、瓦屋根の屋敷が建っていた。  さながら戦国時代の山城である。  屋敷に向かう道は、山の斜面を縫うように、右に左に大きく曲がりくねっていた。九月も半ばを過ぎたとはいえ、まだ日射しは強い。風も木々に遮られてほとんど入ってこず、佐倉川家の表札が掛かった門のインターフォンを押す頃には、史岐も柊牙も、喋るのも辛いほど息が上がっていた。  利玖が健脚を得るのも納得である。 『どちら様ですか?』  スピーカーから女性の声がした。たぶん利玖だ、と思ったが、機械が古いのか、音割れがひどく聞き取りづらい。  二人は順番にマイクに顔を近づけて名乗った。 『遠路はるばる、ご苦労様でした。今、そちらに伺いますのでお待ち下さい』  通話が切れると、柊牙は、にやにやと笑いながら史岐を見た。 「いいお嬢さんじゃねえか」 「頼むから、家に入ったらそういう顔はやめろよ。怒らせたら何するかわからない人がいるんだから……」 「はいはい」柊牙は肩をすくめた。「でも、実家に上げてもらえて、車の助手席にも乗ってもらえて、キスまで済ませたってんなら、もう堂々としてりゃいいと思うけどなあ」 「え……」史岐は額の汗を拭う手を止めた。「あれ……、待てよ……、それ、話したか?」 「熊野君が、鎌掛けに弱いという事が、よくわかりました」  しみじみと柊牙がそう口にした時、門の奥で玄関が開いた。 「お待たせしました」  早歩きで利玖がやって来る。リネンのシャツにグレイのカーディガンという出で立ちだった。カーディガンはニット編みで、袖幅がゆったりと取ってあるのを肘までまくっているので、手首の細さが際立っている。  今しがた、ちょっとした登山をしてきたばかりの二人には、見ているだけで暑苦しい事この上ないが、寒がりな利玖にはこれでちょうど良いのだろう。それに、噂通り、地下に書庫があるというのなら、これから向かう場所はもっと気温が低い可能性が高い。 「佐倉川利玖と申します。本来は長子である兄が出迎えるべきなのですが、只今、他の客の応対をしておりまして……。わたしが代わってお話を伺います」  利玖は門扉を引き、二人を中へ招いた。 「どうぞこちらへ。玄関の前でお待ちください。日陰になっていますから、ここよりは涼しいかと思います。わたしは、書庫の鍵を持ってきます」  言うや、踵を返しかけた利玖を、史岐が慌てて引き止めた。 「本当に入っていいの? その……、身分証明書とか、見せていないけど」 「柊牙さんの事ですか?」利玖が、表情を変えずに振り向く。「問題ありませんよ。史岐さんが嘘をついて、よからぬ輩の手引きをしているようには見えませんし、それに、初めて会った時の怪しさなら、史岐さんの方が断然勝っています」  ぽかんとしている史岐を残して、利玖は家の中に戻った。  柊牙は、しばらく堪えていたが、利玖の足音が聞こえなくなると、体を揺すって笑い始めた。 「いい性格してんなあ」  この場合、彼はそれを褒め言葉として使っていない。  しかし、好ましく思っている事の現れでもあった。
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