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4.死後の無い世界
僕は静かに身体を起こし、脇のテーブルに置かれた水差しからコップに温い水を注いでくちびるを湿らせるように舐める。あまり水分を取ると朝までに眠りに付いてもまた目を覚ましてしまうかもしれないので控えておく。
明日の治療が終わればすっかり健康になり薬漬けの入院生活を終えられる。学校にも通えるようになるだろう。一年留年してしまったが両親は少し遠くへ引っ越して新しい環境でやり直せるようにしてくれると言っているので周りの目を気にする必要は無い。新しい家に引っ越したらまずは本屋を探そう。近所にハンバーガー屋もあるといいな。
主治医の言う通り未来の自分に想いを馳せながら、それでもまた考えてしまう。
『“医療死前”の僕と“医療死後”の僕は本当に同一人物なのだろうか』
これは“医療死”を否定する人々や一部の宗教団体などがよく使う表現だ。
“魔術的完全再生”を受けた人々の記憶の状態はほぼ共通している。再生前については死の直前までの記憶があり、次の記憶は再生した直後から始まる。
再生される遺体の欠損状態や死後から再生までの期間の長短を問わず、例外なく死んでいる間の記憶は一切存在しない。まあ記憶媒体である脳が活動していない、遺体の状態によってはそもそも頭が無いことすらあるのにその間の記憶なんてあるはずもない。科学的には当然だ。
けれども、それでは済まない問題がある。
それは、死後の世界について、だ。
大抵の宗教ではなにかしら死後の世界を定義している。あるいは無宗教のひとでも幽霊は信じているとか、かつては人類の多くが「死んだあとも意識や意志の残るなにがしかの続き」を信じていたが“魔術的完全再生”はそれをやんわりと否定してしまった。
現代では霊魂や死後の世界は空想の産物で、それらを裏付けるような臨死体験の証言なども極限状態で脳が見せた幻覚という扱いが一般的になっている。
対してその現象を“医療死”の否定に使う言説もある。
『死ねば二度とおなじ肉体には戻れない。肉体が再生されても脳にある全ての記録を引き継いだ別人が目覚めることになる。だから死んでいる間の記憶が無いのだ』
細部は団体によって変わるが概ねこうした主張だ。死者の魂は天に召され、肉体はそれに代わるなにかが入り込んでいる。あるいは魂が抜けたまま再び動き出した生きる死体、などと呼ぶひとたちもいる。
信じているひとは決して多くはない。けれどもほんの一握り、というほど少ないわけでもない。
もしかすると明日の“医療死”で僕はこの世を去り、彼らの言うように別人、あるいは魂のない生きる死体になってしまうのか。
鎮静剤を持ってしても抑え切れない強い不安と緊張。身体の震えは収まりそうにない。
怖い。けれども“魔術的完全再生”に頼らなければ助からない僕に選択肢は無い。
気が付けば息が浅く、荒くなっていた。喉がからからだ。
手にしていたコップからまた少量の水を口に含んで飲み下し、溜息のように大きく息を吐く。
「眠れませんか」
不意の声に驚いて視線を向けると、夜間の見回りだろう、扉が少し開かれて野暮ったい眼鏡を掛けた看護師の女性が覗き込んでいた。
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