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ー Prologue ー
応接室のドアを開けると、響は膝に乗せたノートパソコンに向かってキーを叩いていた。
つい先ほどまでこの部屋で行っていた面接の結果を、報告書に打ち込んでいるらしい。
「レポートなら今日じゃなくてもいいのに、明日中にもらえれば」
そう言葉をかけると、彼はパソコンから視線を上げた。
「でも明日はずっと外回りだし、後回しにすると忘れちゃいそうで」
忙しいのだろうと思った。
もうすぐ月末も近い、営業さんとしては、自分の成績には何のプラスにもならないこんな手伝い仕事に時間を取られるのは迷惑なことに違いない。
それでも嫌な顔ひとつせずに、響は協力してくれている。
彼の前のソファに腰を下ろした。
「ごめんね。忙しい時期に」
「これも会社にとっては大切な仕事ですからね。それに、これはこれで面白かったし」
今度は顔を上げずに、キーを叩き続けてる。
視線を落とした面立ちは、あいかわらず見とれてしまいそうなくらい整っている。
私、桜井栞は、入社してからずっと、総務部人事課で採用担当の仕事をしている。
今日はリクルーター面接、いわゆるリク面の日だった。
他の人たちは昨日まとめて行ったものの、響だけは仕事の都合で日程が合わず、一日延ばしで今日になったのだ。
昨今の新人採用は完全な売り手市場で、人材確保には我が社も頭を痛めている。そんな中で、少しでも優秀な人材を確保するため、今年からリクルーター制度を試行することになった。
エントリーシートを元にこれはと思った学生にアプローチし、若手社員が会社説明を口実に呼び出して面接を行う。
結果がよければ、他の面接を飛びこしてそのまま最終面接ということになる。
リクルーターは、営業本部にもお手伝いを要請した。その結果、選ばれたのが響だった。
営業本部が全社を代表するイケメン男子を送り込んできた目的は、美人女子大生のリクルーティングにあるというのがもっぱらの噂だ。
「今日の子たち、どうだった?」
我が社のリク面は基本2名×3名。社員が2名と学生が3人だ。ただ、響だけ一日遅れたこともあり、特例として今日だけマンツーマンで、営業志望の4名の学生と面接してもらっていた。
「最初の男子はよかったですね。話し方もしっかりしてるし、バイタリティありそうな感じ。最後の男子は、ちょっとひ弱かな。営業として見たらだけど」
「二人目と三人目の女の子は?」
尋ねると、彼はパソコンから視線を上げて首を捻った。
「なんか、やたらと緊張してたみたい。もっと気楽にっていろいろ話しかけたんだけど、終始ガチガチだったな」
「そう」
と短く相づちを打ったものの、内心「やっぱり」と思っていた。
就活において、リク面が重要なチャンスであることは学生側もわかっている。今どきは、向こうも面接対策には余念がないし、まして声をかけたのは選りすぐりの子ばかり、面接であがってしまってガチガチになるとは思えない。それも、ふたり続けてなんて。
おそらくは、リク面の連絡が来て勢い込んで来てみたら、面接の相手は異次元レベルのイケメン社員、おまけに小さな応接室にふたりきりで小一時間ともなれば、思わずぽーっとして慌ててしまったんじゃないのだろうか。
「ただ、うちに入りたいって意気込みだけはすっごく感じたな」
こんなリクルーターがマンツーマンで面接してくれたら、普通、女の子ならそうなると思う。
「よし、終わった」
キーを打ち終えると、響はタッチパッドに指を滑らせてクリックしてる。
「ファイルはメールで送りました」
「うん、ありがとう」
「明日は会社にいないけど、急ぎの質問とかあったらスマホにメッセージもらえれば連絡します」
言いながらパソコンを閉じ、ソファを立ち上がろうとする。
その直前、
「あの……」
声をかけると、響が動きを止める。
「ちょっとだけいい?」
面接が終わりひとりでいるはずの応接室に、私が響を尋ねたのはこのためだ。
どうしても伝えたいことがある。
ふたりきりの場所で。
今日を逃したら、二度とこんなチャンスはないと思ったから。
響は「はい」と頷くと、ふたたび椅子に座り直した。
色素の薄い人形のような瞳が、まっすぐこちらに向けられる。
私はとても懐かしい気持ちがした。
彼にこうして見つめられるのは、あの日以来のことだったから。
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