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第1話 待ち合わせ
あれは一年ちょっと前、私、桜井栞が入社三年目の秋のことだ。
その日、私は某ターミナル駅前の待ちあわせ場所にいた。
銅像を取り囲むようにしてベンチの配置されたその場所は、待ちあわせ場所としては定番中の定番。休日の夕暮れ時ともなるとたくさんの人でごった返している。
待ち合わせの相手は杉江大輝という、社会人サークルで出会った男性だった。
サークルの催すイベントで知り合い、次の飲み会でデートに誘われた。デートは今日まで四回、最初のデートでキスをして、二回目で抱かれた。私にしてはとても早いペースだった。それというのも、穏やかそうに見えたけど彼は意外と強引な人で、拒みきれずに流されてという感じだった。
ただ、引っ込み思案の私には、これくらい引っ張ってくれる人のほうがいい。ひんぱんに連絡をくれるようなマメな人ではないけど、見た目が華やかで好みのタイプだし、会えば繰り返し好きだと言ってくれる。ふたりの時間を重ねることでもう少し打ちとけ合えれば、仲のいい友だちに恋人として紹介したいと思っていた。
空いたベンチに腰を下ろし、彼が現れるのを待った。
腕時計を見ると、約束の時間は過ぎている。
「もぉっ、遅いぞ大輝」
ちいさく呟いた。
彼が時間どおりに現れたのは、二回目のデートの時まで。もともと時間にルーズな人らしく、その後の二回は待たされている。前回などは一時間近くもだ。さすがに今回は、遅れてきたことに怒った素振りをしてみせてもいいのかもしれない。
ただ、いざ彼を前にしたら、私にそんなことはできないだろう。おとなしく内向的な性格を恨めしくも思うけど、それが自分の良さなのだとも思う。
栞の優しさにすごく癒される。そこが好きだと言われるたときは、とても嬉しかった。
大輝はちゃんと私の良さを分かってくれている。今日も、彼が現れたら、やはり不満な顔など見せずに笑顔で迎えようと思った。
少しして、隣にいた女性に待ち人が現れ、ベンチが空いた。そして、スマホを眺めながら歩いてきた男性がその後に座った。
見るともなしにその人を見た私は、思わず固まってしまった。
そんな私にに気づいたのか、その男性もスマホから顔を上げる。
「?」
そのまま私の顔を見ると、軽く目を見開いた。
「峠野くん……」
思わずその名を呼んでしまった。
隣に座ったのはその年の新入社員、峠野響だった。
この年の春、採用担当として、初めて私が一から採用活動にあたった人たちが入社してきた。
響はその中のひとりだ。
北欧の美少年を思わせるような甘いマスクは、彼が内定式で会社を訪れたときには、もう社内の女子社員の間で噂になっていたくらい。新入社員の男子の中では断トツ、どころか、私が採用活動の過程で顔を合わせた学生たちを合わせても、肩を並べる子など思い浮かばないほどだった。
そう言う私も、エントリーシートに貼られた小さな証明写真をこっそり眺めていたくらいだから、彼の顔と名前はしっかり頭に入っていた。
響は小さくペコリと頭を下げた。
採用担当の私とは、何度も顔を合わせて言葉を交わしている。彼も私のことはすぐにわかったみたいだ。
「デート?」
私が聞くと、彼は首を振った。
「大学のころの友だちとの飲み会です。早く着き過ぎちゃって」
「そうなの?てっきり彼女と待ち合わせかなって」
とは言ったものの、彼がフリーというのは女子の間では常識だと聞いている。
案の定、当人も
「いませんよ。彼女なんて」
と笑ってる。
桜井さんは?と聞かれたけど曖昧な返事ではぐらかした。
もっとも、いずれ大輝が現れれば分かってしまうことなんだけど……。
その後、二言三言言葉を交わしていると響のスマホが鳴った。
ラインの着信かなにからしい。
彼は会話を終わらせると、ふたたびスマホを覗き込み返信を打ち始めた。
私はふたたび人混みに視線を移し、待ち人の姿を探し始めた。
待ち合わせ場所はさらに人が増えていて、座ったままでは見渡しづらくなってきている。響と並んで待っていることにも気まずさを感じていた私は、ベンチを立って周囲を一回りしてみようかと思い始めていた。
その時だった。
「栞」
名前を呼ばれて声の方を見た。
大輝だった。
「大輝」
私も名前を呼んで立ち上がろうとすると、彼の隣に立つ女の子が目に入った。
ルーズなミニワンピを身につけた派手な感じの子だ。品定めするような目線でこちらを見ている。
緩めの服の上からもわかるくらい、グラマラスな胸をした子だった。
誰?といった視線を大輝に戻しながら、ゆっくりと立ち上がる。
「悪いんだけど」大輝は言った。「今日はちょっと急用が入ってさ」
いきなりの言葉に、目を見開く。
「キャンセルってこと?」
やっとそれだけ言った。
「そういうことには、なるんだけど……」
大輝の答えは歯切れが悪くて、まっすぐに私を見ようとしない。
横でそんなやりとりを眺めていた女の子が、小馬鹿にするようにふんと鼻を鳴らした。
「ばっかじゃない。なに誤魔化してんの?ちゃんと言ってやりなよ」
私がそちらに顔を向けると、
「もう行ってよしってこと」
横柄な感じに小さく顎を振る。
邪魔者を追い払うような仕草だ。
「誰なの?」
眉をひそめて大輝に聞いた。
するとその子は、きゃははと下品な笑い声を上げた。
「ねぇ大輝、あたしって誰?その人に教えてやったら?」
「お前は黙ってろよ」
大輝は困ったような表情を浮かべてる。
「どういうことなの?」
その女のことは無視して大輝に聞いた。
突然のことで混乱してはいたけれど、ここまで言われればなにが起こっているのか分かりはじめている。ただ、大輝の口からちゃんと説明が欲しかった。
「そんなこともわかんないの?ダサい上に頭まで悪いんだ」
そこまで酷いことを言われて無視することはできず、私は、精一杯の不快な表情を浮かべて女を見た。
「あんたみたいな地味なマグロ女が人の男を寝取ろうって、百万年早いから」
女はそう啖呵を切ると、鋭い視線で睨みつけてくる。
やっぱりそうなんだと思った。
大輝はこの人と私で二股を掛けていたということだ。
なにか言い返してやりたかった。
でも、口げんかすらろくにしたことのない私は、何をどう言っていいかわからない。
必死に睨み返そうとすると、瞳が潤んでいくのがわかった。
女はそんな私に対して、サディスティックな笑みを浮かべた。
視線が露骨に胸に落ちる。
「へぇ、やっぱね。脂だけはのってんだ、このマグロ」
「やめろって言ってるだろ」
すかさず大輝が言った。
「あんなのに目がくらんで、バカなんだから」
「だから、やめろって」
彼は女をたしなめようとはするけど、私をかばう気はないみたいだった。
おおかた二股がばれてこの女に詰め寄られたのだろう。私とは別れると言ったら、信じられないから自分も連れて行けと言われたのかもしれない。
「もういい、行こ」女が大輝に腕を絡めた。「どんくらいのもんか見てみたかっただけだし、わかったからいいよ」
勝ち誇ったように鼻で笑われ、意味もなく自分が惨めに思えた。
「そういうことだから」
最後まで言葉を濁したまま立ち去ろうとする大輝に、
「待って」
私は思わず縋ろうとした。
せめて謝って欲しかった。ごめんの一言もなく、立ち去ろうとする彼が信じられなかった。
その時だった。
「ちょうどよかったじゃん」
横から響の声がした。
スマホをポケットに入れながら立ち上がると、私の隣に立ち、そっと背中に手を回してくる。
「俺たちも似たようなものなんだよね」響は言った。「いちどは喧嘩して別れたんだけど、俺、やっぱり栞が忘れられなくてさ。よりを戻そうって言ったら会う約束してる人がいるって言うし。そんなの断れってついてきたわけ」
突然意味不明のことを言い出した響は、横でとまどう私にかまわず続けた。
「おあいこだし、これでいいよね。もうこの先、俺の栞にチョッカイ出さないでくれる?」
言われた大輝は、訝しげな顔をして響を見ている。
それを無視して、響は私の肩を抱き寄せた。
「行こっか」
その場を立ち去ろとした。
しかし、直前で動きを止め、女を見た。
「ただ言っとくけど」強い口調で彼は言った。「栞はダサくも地味でもない。ましてや頭悪くなんかないから、勝手なこと言わないでくれる?」
突然の響の乱入に、呆気に取られていた女の顔が見る見る険しく変わる。そして彼女が何か言おうとするその前に、響はもう歩き始めていた。
肩を抱き寄せられた私は、ただそれに従うしかなかった。
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