第2話 一夜の彼女

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第2話 一夜の彼女

 その後、抱かれた肩こそ解かれたものの、手を繋がれ、黙ったまま混み合う雑踏を歩いた。  横から覗き見た響は、怒ったような表情をしている。  たぶん、聞いていた会話から事情を知り、一方的に言われるばかりの私ために腹を立ててあんなことを言ったのだろう。  あのふたりが響の言葉を信じたかどうかはわからない。でも、彼の気持ちは嬉しかった。  やがて、駅から離れたけやき並木の入り口に着くと、 「ごめんなさい」  響は突然、繋いでいた手を放して頭を下げた。 「あんまり頭にきたから、ついあんな嘘ついて」  彼の突然の変化に、びっくりした顔をしていると、 「だって酷いよね。あの女、それに男も。でも、勝手なことをしたと思ってます。ほんとごめんなさい」  さらにもう一度頭を下げる。  私は慌てて首を振った。 「いいよ。私のためにしてくれたことだもん。それに、もうどうしようもなかったし」  響が乱入してこなければ、一方的に言われた末に、街に消えていくふたりの後ろ姿を見送ることしかできなかっただろう。  それきり連絡がなければおしまい。  こちらから連絡を取って彼を問い詰めたりできるはずもなく、泣き寝入りするだけだったと思う。 「それより、よかったの?」  神妙な顔でうつむいてる響に言うと、彼は「え?」と顔を上げた。 「待ち合わせだったんじゃない?」 「そうですけど……。それはいいです。いまから戻るわけにもいかないし、友だちと飲み歩いていてあの二人に見つかっても困るし。集まれるヤツが集まって飲もうってだけですから」 「そうなんだ」  それもそうかと思った。  たぶんあの人たちはこの街のどこかにいるはず。嘘がばれて私が何か言われるだけならいいけど、響が絡まれるようなことがあっては困る。巻き込んでしまった彼には悪いけど、今日の飲み会はあきらめてもらうしかない。  私はけやき並木の彼方を見た。  駅に戻れないからには隣の駅まで歩くしかない。  もっとも、このままけやき並木を抜ければ隣の駅はすぐそこだ。  つられるように響もまた、けやきの続く通りの先を見た。 「ということで、隣の駅まで歩きません?カムフラージュも兼ねて」  戯けた口調で言われて、頷いた。  そして私たちは、再び並んでけやき並木を歩き始めた。  ふたりは黙ったままだった。  なにか話した方がいいのだろうけど、突然のことで話題が思いつかない。  私を気づかってか、響も口を閉ざしたままだ。  大輝のことはショックだった。ただ、追いすがったり、あの女と奪い合ったりしてまで失いたくなかったかといえばよく分からない。それよりも友だちになんと言おうか、そっちのほうが憂鬱だった。  大輝とのことはいろいろ話していたし、写真を見せたら囃したてられ、一度紹介しろとせっつかれていた。それが実は二股を掛けられていて、挙げ句はごめんの一言もなく捨てられたなんて、言えたものじゃない。  あらためて振り返ると、二股と言えばまだよくて、つき合っていたと言えるかどうかも怪しい。好きだという言葉に踊らされて、遊ばれて捨てられただけのこと。まともに相手にされてなかったくせに、勝手に舞い上がり、友だちに写真を見せてのろけ話をしていた自分が、とても惨めで情けなくなってくる。  無言で歩いていた私だったが、やがて足を止めた。  響も足を止め振り返る。 「ごめん。やっぱり先に行って」  俯いたまま告げた言葉は少し潤んでいた。  響は何も言わずにこっちを見てる。どうしていいか困っているみたいだ。 「私と峠野君じゃ釣り合わなすぎて、カムフラージュになんかならないよ」  目をそらして言うと、欅の木の向こうに逃げようとした。 「待ってよ。そんなことないって」  慌てた口調で言いながら、響もついてくる。  欅の幹の陰で立ち止まった私の背後に立ち、彼は言った。 「桜井さんは素敵だし」 「嘘ばっかり」 「嘘じゃないですよ。同期の中にもファンのヤツとかいるんだから」 「でも嘘って言ったよね?」  拗ねた口調で言うと、 「え?」  と、響は驚いた声を出した。 「駅で別れ際にあの子に言ったこと。さっき、つい嘘ついたって……」  彼が去り際に、捨て台詞のように女に言った言葉のことだ。  ―― 栞はダサくも地味でもない  もちろんその言葉まで嘘だなんて言いがかりに過ぎない。彼がその言葉を嘘と言ったわけじゃないことはわかってるし、普段の私ならありえない言葉だ。それよりなにより、こんな駄々っ子みたいに甘えたやりとりを、今日までろくに話したこともなかった響にしている自分が信じられなかった。  私の言葉の意味は、彼に伝わったらしい。 「あれは嘘じゃないですよ」  優しい声で響はそう言ってくれた。  きっと私は、彼のこの言葉が欲しかったんだと思う。  不思議な子だと思った。いっけん子供っぽくも感じるけど、こんな場面でも落ち着いていて妙な包容力がある。そんな彼の雰囲気が、私にあんな甘えた言葉を言わせたんだと思う。  一度そんな台詞を口にすると、整いすぎるくらい整った彼の顔立ちや、夕暮れ時のけやき並木というシチュエーションも手を貸して、まるで自分がテレビドラマの主人公にでもなった気分になる。 「だったら証拠を見せて」  とっさに私はそう言っていた。 「証拠?」 「私を彼女にしてくれない?」  響はきょとんとした顔をしてる。  その表情と、自分が口にしている言葉が恥ずかしくて、思わず目を伏せた。  そして言った。 「今夜だけでいいから」  いったい私は何を言ってるんだろうと思った。  心臓の音が聞こえてきそうなくらい、鼓動が高鳴ってる。  なんて、嘘。そう言って逃げだそうとした。  ところが、私が口を開くより早く、 「いいですよ」  呆気ないくらいあっさりと、響は言った。
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