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第4話 夜が終わるまで
その後、打ち解けていた会話がまたぎこちなくなってしまった。
恥ずかしさもあるけど、なにより、そんな言葉をあの女から浴びせられていたことに、落ち込んでしまったからだ。
思い当たる節はある。
私はあまり声を出す方じゃないし、ベッドに上でいろいろ求めてくる大輝に及び腰でいたことは事実だ。でもそれは恥ずかしかったのと同時に、先を急ぎすぎている気がしてしまったからであって、ゆっくり上手にリードしてくれていたら違っていたと思う。私だって、けっしてそういうことに興味がないわけじゃないのだから。
そんな自分を、あの女にバカにされたのは悔しい。でも、それ以上に私を悲しくさせたのは、大輝が、私とのベッドの上でのことをあの女に話していたことだった。
いまさらながら、彼にとって、自分はその程度の存在でしかなかったと思い知らされた気がして、とても悲しい気持ちになった。
今になって思えば、大輝みたいに派手な感じの男性が、私みたいな地味な子に言い寄って来たこと自体がおかしい。癒やしとかなんとか言いながら、結局は下心、ありていに言えば体が目当てだったんだと思う。
小柄のわりに胸の大きな私は、その膨らみで男性の視線を集めることが多い。それが嫌であまり胸の強調される服は着ないんだけど、それでも目立つらしくて、折りにふれて男の人の視線が気になることがある。
あの女性も、雰囲気こそ正反対ながら体つきは私と似た感じだったし、きっとそういうカラダが好みなんだろう。
そんなことを考えていると、目尻にじわりと涙が浮いてしまう。
「そろそろ行く?」
黙り込んでしまった私に、響が言った。
私は無言で頷いた。
店を出ると、ビル街に挟まれた舗道を並んで歩いた。
「あんまり、気にしない方がいいよ」
急にテンションが下がってしまった私に気を遣ってだろう、響はそう声を掛けてくれた。
ところが、そんな彼の思いやりに対して、
「何を?」
私は不機嫌な声で答えてしまった。
飲み慣れないお酒に酔っていたこともある。でも、それ以上に、あらゆることを緩く受け止めてくれそうな響の雰囲気に、甘えていたんだと思う。
「あの女の言ったこと。そういうのって人それぞれだし」
「その言い方、それって、峠野君もそうだと思ってるってことじゃない?」
「そういう意味じゃなくて、人の感じ方はそれそれだって……」
どこか慌てた口調がよけいに悲しかった。彼にも反応の薄い子なんだろうと思われてるようで……。
たくさんの人が入り乱れて流れる雑踏の中、しだいに歩くスピードが遅くなる。
最初響は、そんな私の歩調に合わせてくれていた。
しかし、迷惑そうに横を通り過ぎる人たちに気づいてか、脇の植栽の方へと誘ってくれた。
「さっき、うちの会社、好きだって言ってたよね」
突然聞くと、
「好きですよ」
響は頷いた。
「私はね。あんまり好きじゃないんだ」
「どうしてですか?」
「だって、みんな浮ついていて、はしゃぎ過ぎだよ。あなたのことだってそう。三つ星とかみんなで囃したてて、そんなのおかしくない?会社なんだよ」
「たしかに勘弁してよってこともありますけどね。でも、そんなのって話のネタだし、みんなで盛り上がるのも大切なことじゃないですか?」
「度が過ぎてるって言いたいの。内定式に覗きに来た人を追い返すのだってたいへんだったんだから」
響のことだけじゃない。女子社員の人気ランキングから始まって、飲み会事件簿やスポーツの応援合戦に至るまで、ありとあらゆることで絶えず盛り上がってる騒がしい会社なのだ。
「でも、楽しいと思うけど」
「峠野君みたいにその中心にいる人はそう思うかもしれないけど、私みたいに端っこで見てるだけの子には、そんなことないんだよ」
「僕はネタにされてるだけで、別に中心にいたりしないですよ。それに、桜井さんが端っこにいるっていうのも違うと思うし」
響はわかってない。私は確かに端っこにいる。
でもそれは、自分から後ずさりして端っこに縮こまってるからだ。
似たもの同士が集まっているだけでよかった大学時代、私はその小さなコミュニティのアイドルだった。ただ笑って座ってさえいれば、周りが私を押し上げてくれた。けれど、いまの会社に入ってからは、周囲のみんなが輝いている人ばかりに見えて、いじけてしまったのだ。きっと大輝とのことは、その反動だった。
本当は、彼のことがどれだけ好きだったのかわからない。ただ、私にだって見栄えのする彼氏がいることを会社の同僚の子たちに見せびらかしたくて、彼の誘いに応じてしまったように思う。
響は、黙り込んでしまった私のことをじっと見つめていた。
「ごめんね。駄々っ子みたいだよね。」少しして、私は言った。「わかってる。受け身じゃダメだって。もっと自分を表に出して楽しもうとしなければ、楽しめるものも楽しめないって」
異性にしたってそうだ。いつも受け身で、待ってばかりいる。だからあんな男に言い寄られて、挙げ句におかしなことまで言われてしまうのだ。
今回の大輝のことは、自分が変わるきっかけにしなくちゃいけない。
強く、そう思った。
「桜井さんのことはよく分からないけど、無理に頑張らなくたっていいんじゃないかな」響は言った。「大切なのは自分の気持ちに素直になって、まずは行動してみることだと思うけど」
私は頷いた。
もしそうなら、いまここで変わってみたいと思った。
自分の気持ちに素直になってみたい。
響と一夜限りのデートは、とても楽しかった。
そしてその間ずっと、言ってみたいと思っていた言葉がある。
「ね、峠野君」
「はい?」
「私たち、今夜は恋人同士なんだよね?」
「うん」
「だったら……」
「?」
「この夜の終わりまで、ちゃんとあなたの恋人でいさせて欲しいな」
恥ずかしくて、胸がドキドキして、とても顔を上げていられなかった。
すると、
俯いたまま立ち尽くす私の背中へと、
響はそっと腕を回してくれた。
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