閑話・六: 初恋

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 「おや」と達朗は思った。短いその言葉には、不機嫌そうな声音の奥に喜色が透けて見えた。照れているのがわかる。そしてそれを裏づけるように、和子は代金も請求せずに惣菜の入った袋を男に差し出した。その袋は、注文していた量よりも随分と多そうに見える。おまけもたくさん入れているのだろう。  彼は最初はそれを遠慮して受け取らなかったが、和子が一歩も引かないと察したようで、結局は何度も何度も礼を言いながらそれを受け取って帰っていた。その小さな背中を見送りながら、達朗はなんだかとても清々しい気持ちになった。堪らない気持ちにもなった。  彼の言葉の通り、本当に食べて忘れられるわけがない。それが彼の精一杯の強がりでしかないことはすぐにわかる。けれど、そんなふうに強がって見せる彼は、こうして部屋に引きこもって答えの出ない問いを悶々と考え続けている自分よりもとても大きく、悠然として見えた。  そして一方で、そんなふうに強がる彼を守ってやりたい気持ちに駆られる。こうして二階の窓から眺めているだけのなんの関わりもない人間なのに、彼に頼られたい、などと思ってしまった。  ――なんのために  答えのない問いを考えることほど、無駄な時間はない。思い悩んでいる、ということを免罪符に、こんなふうになにもせずに体を怠けさせていては、いざ、その問いに答えが出たときになにもできない。たとえば彼を守りたいと思っても、今の自分ではそれも叶わないだろう。  このままでは駄目だ。  帰省してから数ヶ月後、達朗はようやく立ち上がった。
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