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「今、決めなくてもいい。明日が守の四十九日。つまり最後の審判だ。明日までに決めればいい。スイッチは回収に来るから。明日、今日と同じ時刻にここでね。逃げても、無駄だよ。オレにはキミがどこにいるか、すぐ分かるから。まぁ、ストーカーではないから安心しなよ。じゃあ、とりあえず、今日のところはさようなら」  一方的に沙綾にスイッチを渡すと、風のように青年は歩き去った。  黒い革靴を履いていたのに、コツコツという歩く音さえ立てずに。  緑のボタンがついたスイッチ。  沙綾は自分の手の中にあるスイッチをじっと見つめた。  家にたどり着くと、沙綾はまず冷蔵庫を開けた。  ビール好きな守が買い置きしていた銘柄の缶ビールが2本冷やしてある。  一本を冷蔵庫から取り出す。  普段なら冷えたグラスに注いでゆっくり飲むけれど、今日はそんな気分ではなかった。  缶のプルトップを上に押し上げる。  プシッ、と音がしてシュワシュワと白い泡が立ち上る。 「泡とビールの俺的黄金比は、3:7。それが一番旨い比率だよ。とは言え、缶のまま飲むビールもなかなか捨てがたい。ワイルドな感じがするだろ?」  生前、よくそんなことを言っていたっけ。  勢いよく缶ビールを煽る。  ソーダ水の炭酸よりもビールの炭酸の方がきめが細かい。  一口飲んで、呟く。 「苦い」  眼の前に、守がいる気がした。 「その苦さが旨み。いくらでも味わいたくなるよね」 「ただ、飲みたいだけでしょ」  何気ない日常会話。 「じゃあ、沙綾が飲めるように工夫しよう。ビールにレモンを絞ってみる、トマトジュースで割ってみる。邪道とも言われるけれど、沙綾が好きなように飲めばいい」 「あー! 飲む事に、人を巻き込もうとしてる!」 「えへへ、バレたか!」  守の笑顔、守との会話が溢れ出す。  沙綾はビールを半分ほど、一気に煽った。 「苦い、苦いよぅ、守ぅぅ、ううう」  守の返事はない。  家の中は静まり返っている。  ずっと泣けなかった沙綾の目から、涙が零れた。涙と共に感情も溢れ出す。溢れ出した感情は、止まらない。 「なんで、死んじゃったの。なんで守なの。なんで、なんで……。守のばかぁ! 一緒に出かけるって言ったじゃないか、ずっと一緒に居るって約束したじゃないかぁ! 夢一つ出てこないクセに! どんなに会いたいと思っても、話したいと願っても、いないクセに! 出てこないクセに! うわぁぁぁぁぁん!」  ビールで酔ったせいだけではないだろうが、沙綾は守がいなくなってから初めて、大声を上げて泣いた。
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