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一晩経ってみると、昨日の事が本当にあったことなのかどうかが分からなくなった。
涙を流してから眠ったのが良かったのかも知れない。それとも、守に言えなかった文句を吐き出してスッキリしたからなのか。
ぐっすり、眠れた。
伸びをしながら、スマホを手に取る。
ずっと開けられなかった、守との写真が入った画像。
笑顔の守がいる。
「守、おはよ」
なんとなく守に声をかけた。
勿論返事はないし、守の姿も見えない。
けれどもテーブルの上に置かれた、緑のスイッチが、青年との出会いが夢ではないことを示している。
「どうしようかなぁ」
沙綾は誰にともなく呟く。
居ないようで居る、守に向けてなのか自分に向けてなのか、自分自身でも分からない。
しばらく無言のまま、守の画像とスイッチを見つめた。
春分までは昼の時間は短い。
17時半には、帳が降りて、夜がやって来た。
公園のブランコ前に佇んで、握りしめた手の中のスイッチを見つめる。
心はまだ迷っている。
誰よりも会いたくて愛おしい、守。
感謝と愛を、彼に伝えたい。
気持ちを言葉にして、たくさん彼に伝えたい。
「気持ちの整理はついたのか?」
不意に声を掛けられて驚き、肩がピクンと跳ね上がった。
そんな沙綾の様子を見て、低い声で青年が笑う。
今日も黒色ロングコート姿で影を纏っている。
沙綾は、大きく深呼吸した。
そして、青年に向かって握りこぶしを差し出す。
スイッチを受け取った時と同じように、拳を返して手を開き、スイッチを青年に差し出した。
青年が沙綾の手のひらから、スイッチを受け取る。
まだスイッチは押されていなかった。
沙綾の顔を青年がじっと見つめる。
「押そうと思った……。何度も、何度も。緑のボタンを。ずっと、ずっと考えて。考えても分からないから、眠っちゃった」
沙綾はそこで少しだけ、笑顔を見せた。
青年は心の内で、その笑顔に息をのむ。
「守を愛している。今も全力で。感謝もしている。今も全力で。私は守にそれを伝えたい。だけど……そんな事、守は既に知っている。私を全力で愛してくれた守だから。私の気持ちは誰よりも伝わっている。私は、そう、思う」
肩を震わせて沙綾が青年に話す。
俯いた沙綾が泣くのではないかと、青年は思った。
しかし。
顔を上げた時に浮かんでいたのは、微笑だった。
青年は何も言わずに、沙綾の言葉を聴き入った。
「伝えたいことが伝わっているのならば、守が側にいてもいなくても、同じこと。大切なのは、私が守を大切に思っている、と言う気持ちだけ」
話し終えて青年を見た沙綾は驚いた。
淡々としていた青年が、静かにハラハラと二、三粒ほど涙を零した。
沙綾が見ているのに気づき、青年は素早く人差し指と親指で目頭を拭い、淡々とした表情で涙を隠した。
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