1.可能性

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1.可能性

「賢者というよりも、まるで暗殺者じゃんか」 (おや――暗殺者を見たことがあるなんて王族か何かですか?) これまで幾度も囁かれてきた言葉も、随分と久しぶりに耳にしたので、私は思わず顔を上げてそちらを見てしまった。すると、その台詞を発した無邪気な子どもを、傍にいた母親らしい女性が慌てて後ろに隠した。ふくよかな彼女の後ろにすっぽりと覆われた子どもは、不満げな声を発する。母親は深々と頭を下げてから、この広場からそそくさと退場していった。 私は特段気を悪くしたわけでもなく、睨みつけた訳でもない。ただ、久しぶりに聞いたな、と思って何の気なしにそちらを見ただけなのだ。だがどういうわけか、この風体と顔が意味ありげに人々には見えるらしく、こうして不必要に恐れられてしまうことは実によくあることであった。もうそれに傷付くような繊細な心を持っていないどころか、彼らが持っていた賢者イメージを壊して申し訳ないとさえ思う。 黒の撥魔加工の織り込んだロングコートに、同じ黒の制帽とズボンとブーツ。確かに黒すぎるかもしれないが、黒は魔術的には素直な色なので魔術師に好まれるそれであるし、ちゃんとインナーは別色である。あとは顔色が悪いとか、笑顔が苦手とか、三白眼だとか、理由は恐らくまだまだあろうが。ひと目で覚えてもらえるのは利点である。 (暗殺者も本当にこんな格好をしているとは限らないし、もしそうだとしたら人に見られた二流の暗殺者だろうから、複雑だ) 普段は自分の担当する地域を回るばかりですっかり私に慣れた人々とばかり接していたのだが、依頼を受けた遠い地に出向いてこうした声を聞くことで、自分が何者なのかを再認識できるような気がした。 街中央の円形広間には白亜のモニュメントが堂々とそびえていた。人の背丈の十倍ほどはあるそれは尖塔の如く天を刺し、その麓には地下水を汲み上げた噴水がしぶきを上げている。この街の結界システムを司るヴァイタルマークは、まさにこのモニュメントであったので、私は依頼の通りその傍らで結界の綻びの原因を探っていたのであった。 ふと、揺れる水面に男が映る。 黒尽くめの衣装に、三白眼で表情に乏しい長身の男。それが私であった。 「賢者殿、如何でしょう? 直せますか?」 背中に声をかけられ、私は立ち上がる。丸眼鏡を鼻にかけた、人の良さそうな壮年の男が立っていた。名はデックスと言った。協会を通じて依頼を出した、このブロブの街の結界保全責任者である。 「はい。術式仕様に前任者の癖が残っていますが、私にも十分修復可能です。仰った通り、先日の落雷で統制系の場の秩序が乱れたのが原因のようですね」 彼は、私が見た目の割に丁寧な言葉遣いをすることに初対面で驚いたようだったが、今では特に気にするふうでもなかったので少し安心する。言葉遣いはまさしくアサシン的外見の私が人と円滑なコミュニケーションをとるための道具であり、人によってはその取り合わせに怪訝な顔をするが、いつの間にか慣れると共に親し気に接してくれているので馬鹿にはできない。 氏はほっとした顔で、深く頷く。跳び土竜の尻尾色の袖なし上着は上等な生地で、今日のような快晴ではより発色がいい。目が少しちかちかした。 「それはよかった。今日中には終わりますかね? 魔物の姿が郊外に見えたとかで、不安がる者も出始めておりまして……」 「ええ。今もこの結界は多少綻びてはおりますが、十全に機能はしておりますので今すぐに襲われることはありません。念のため、作業の間も不入の方陣を仮敷きしますので、ご安心ください。ついでに雷避けも組んでおきましょう」 「おおっこれは有難い! 至れり尽くせりとはこのこと!」 ぱあとデックス氏の顔が明るくなる。その何とも言えぬ陽の気に、私は軽く圧された。 「いやーはっはっは安心しました! それにしても、賢者殿がこんな片田舎の依頼を受けてくださるなんてことがあるんですなあ。賢者、という称号を得るには、『魔術師職』と『神官職』を最高位まで修めないといけないんでしょ? 片方だけでも一生かかるものでは⁉」 「はあ、人によりますが……」 「かーっ! 御謙遜なさって! 正直、お会いした時は気難しげなご様子だったので内心ハラハラしておりましたぞ。やはり大いなる力を持つ方は御心のあり様も大きいのですな!」 「いえ、とんでもありません……」 ひとしきりご機嫌に喋った彼は、私の曖昧な返事でも十分満足したようだった。 (まあ、賢者は大抵が宮廷顧問だからな。こういうヴァイタルマーク修理であれば、神官職の六位ほどであれば可能だし……遠回しに迷惑だと言われているような気がしないでもないが) 三大資格職は最高位まで納めると、それを讃えて称号持ち(ホルダー)と呼ばれることは子どもでも知っている。それらを複数持っている者は、さらに別の称号が付くのだが、私の場合はそれが魔術と方術のエキスパートということで『賢者』ということになっている。 こういった称号持ちがあまり無償の施しはするな、とよく上司の少女には叱られるのだが、黙っていれば協会にも話はいくまい、といつものように私は気に留めなかった。勿論そんなことはおくびにも出さずに私はやり過ごす。 ――一般人は魔術が使えない。 この過酷な世界を生きぬくために必要不可欠な力であるにもかかわらず、それが備わっていない人間がいることこそ、神の不在証明であると私は思う。しかし、そんな不信心者にも加護方術は使えるのだから、やはりそうなのだろう。 そんな人々に手を貸すことで報酬を得る協会のやり方は社会のシステムとしては優れているが、そこにも人としての良心や互助の心は介在してしかるべきだろう。私自身、人の小さな親切に助けられてここまでやってこられたのだから。 作業が終了したら庁舎に伺うと約束し、また私はモニュメントに向き直る。疎らな人々の視線は気になるものの、デックス氏と話していた協会の者とだけ分かれば通報まではされない。と思うが、近くに長杖を立てて『修復作業中』の文字を浮かび上がらせておく。これだけでも“座標固定”と“魔素操作による文字固定”などの高度な魔術であるので、胡散臭いやつだとは思わないはずだ。 慎重堅実。安心安全。信用第一。私は白の手袋をした両手に魔力を集中させる。瞬時に指先まで血が通い、ほんのり暖かくなったのが準備完了の合図である。 「よし」 徐に噴水の少し上を指差して、宙に空気の台座を構築した。見えない階段を上るように、噴水の上部にあるモニュメントの根元に触れる。術師が触れるとメンテナンス用の術式回路が淡く光って展開する。それに触れると、神経が外側に開きモニュメント全体にいきわたるように理解が進む。 (フム。……効果保証期間が過ぎている。だがそれでもここまで保っていたのは、設計者がいい仕事をしていたからだ。勉強になる) 例えば、結界の主機能を担うこの魔物忌避の術式の、なんと緻密で立体的な組成か。場を整える箇所の修復とは別に、興味をそそられる。何年術師をやっていても、こうした名もなき各地の術師の仕事に触れると発見がある。個人の技術は学問として体系化されておらずノウハウが消えてしまいがちだ。 つい私はモニュメントの頂点部にある制御盤まで見たくなって、手をさっと翳す。盤面遊戯の駒を取り払うように。術式の選定と敷設はほとんど同時に行い、周囲の風を紡ぎ上げた。ヒュンという鋭い音とともに体が宙を進む。“空中移動”は十八番中の十八番でイメージ通りの挙動をする。反動も慣性もなく、モニュメントの先端で停止した。 多くの結界制御盤は、根本と、魔術を使わなければ辿り着くのが難しいような箇所にあることが多い。ゆえに後者の方にこそ技術の真髄がある。のっぺりとした表面にはぎりぎり触れない辺りに手を差し出し、開示命令を流し込む。途端に私を取り囲むようにして淡い光と半透明のインターフェイスが展開する。入力した命令に対する出力情報が、接続した手を通して、脳に直接流れ込んでくる。無防備にならないよう手首の魔道具(デバイス)で反射膜を発生させ、目を閉じてその分析に集中する。設計思想、仕様、現在の結界感知野のモニタリング。 「……ム……?」 ぴくりと私は眉間にしわを刻む。この街上空と農地を含む領域を包み込む半球状の結界の感知野は、実はその倍に及ぶ。これは結界というより警戒機構の一環で、魔物による襲撃に備える早期探知の要である。 その一角に、私はふと違和を感じた。直接情報接続されている今は、手に取るように各地の感知情報が入ってくる。 (北北西の山間部に、急速に移動する魔物の反応がある。結界の不具合を知っての襲撃か? しかし数は三と少ない、計画的な組織立った動きではないだろう。なら……獲物を追っている……のか?) 嫌な予感がした。私は一時的にヴァイタルマークとの接続を切り、かざしていた手を降ろす。そして、両脚に力を溜める。 「浮遊維持、“速歩”実行」 ブン、と魔素の摩擦が虫の羽音に似た音を立てる。 発射台に見立てた反発空気の足場をひと蹴りした次の瞬間、私の体は雷燕より速く空を駆けていた。風の干渉を低減する設定を採用しているが、帽子が落ちないようにつばを持って押さえる。人の足なら走って半刻はかかろう所を、私はひと息に飛び越えて眼下の濃い深緑とときおり見える岩ひだを見回した。 枝々の隙間に、影が走る。はっとして、私はその獣道があるのであろう隙間のラインを凝視した。走っていく一団の先頭は、細い手足、頭部にはなびく髪を持っている。 「……人の子か!」 唸る。 人間の子どもが葡萄泥色の毛並みの狼型の魔物三体に追われているのだ。結界外の山道で行われている命がけの追いかけっこは、近いうちに終わりそうな様子であった。子どもが何かに蹴躓いて、前のめりに二三回転して転んだのだ。 「うわ、あっ」 悲鳴。間髪入れずに、魔物が牙を剥き出しに飛びかかる。 (不味い) 私は落ちるより早く、子どもと魔物の間に隕石のごとく飛び込んだ。 轟音、土煙。ひびの入った地面にて、私は腰に隠していた小刀の鞘で牙を防いだ。体は子どもの方に向け、魔物には背を向けるような態勢で、小刀を左の逆手に持った状態である。 空いた右手ですかさず魔術を発動し力任せに突進してきた魔物を二体ほど爆発させる。爆発と言っても火薬ではない。圧縮真空で肉を抉るように穴を開けると、急速に収縮と膨張が起きてその物体は弾けるのだ。 獲物の追走において最後尾にいた三体目は、それを見て多少怯んだようだったが、私が一人と見ると猛然と突撃してきた。脚部が発達して、二足歩行も可能な亜人の近似種と見て、冷静に私は人差し指で照準を合わせる。 狼型の歩幅にして二歩、というところで、ぐしゃっと音を立てて頭が消失する。 「“圧潰”」 言い放つ頃には、鼻が曲がるような血肉の臭いが立ち込めてはいるものの、元の静かな山道がそこにはあった。私は三体の他に魔物の類はいないことを目視確認してから、踵を返す。転んだ子どもは無事だろうか、あるいはすぐに立ち上がって逃げおおせていればそれでいい。 然して、子どもは足元に倒れたままだった。転んだ時に頭を打ったのか、私が割って入った衝撃で失神したのか、疲労困憊の末に動けなくなったのか。私は急に不安になって、屈み込んで様子を窺った。反応がないので、慎重に仰向けにして、声をかける。 「大丈夫ですか。もしもし、……」 咄嗟に、私は言葉を失った。 見たところは十代前半の少年あるいは少女で、痩せ細った手足は汚れと傷で無惨な様であった。襤褸切れのような服には不釣り合いに顔立ちは中性的で整っており、ふわふわとあちこちに跳ねた茶色の髪は後ろだけ長い。 だが、そこには捻れた小さな黒い角が二本。服の裾からは白い毛の束のような尾。 私はしまった、と思った。 (これは――魔物の子か……⁉)
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