2.明かりを灯すように

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2.明かりを灯すように

大陸を縦断する山脈の途切れる箇所、南のフィニオル平野は人も魔物も住みやすく移動しやすい要衝として、得てして激戦の地となる因縁の場所であった。 それから数百年、あるいは数千年経ち、人々が結界の魔術を開発し実用化してからは、この地を収めていた当時の諸侯により平野が奪還されて以来、人間の勝利と繁栄の証として巨大な白の尖塔を中心とした都市が形成され、人々の行き交う交易の要所として拡大の一途を辿っていた。これが、南随一と名高い都、サンザロッサである。都市の始まり自体の歴史は浅く、比較的新しいそれなので、街並みも近代的な石と混泥壁の固めものが多く、地方の伝統ある風景とは一線を画した無機質な塩の結晶の群れのようであった。 街の拡大を妨げるものとして各都市にみられるような市街地に密接した防衛用途の塀は存在せず、市街地の端から更に馬の速足で十分ほどの位置にいよいよ高い防壁が築かれている。この範囲を結界範囲及び都市中心部と定義し、その外側は魔物も跋扈する山間部と整備され警備兵の立つ道が伸びている。ここまで大きいと国の直轄地として商業特区、経済特区に指定され、免税を目的としたここに本部を置く商会も多い。それは、法人の全国冒険者協会も同様であった。 この日、ビジネス街の郊外にある石造りの協会中央西支部は、静かなざわめきで満ちていた。行政の建物はヴァイタルマーク周りの大公園に沿うように乱立しているが、その分魔術的干渉が多く場を乱しかねないという理由で協会支部はそこにはない。冒険者(戦士職、魔術師職、神官職の三大資格職のいずれかを有する、あるいは志す、あるいは何かしらで一枚噛んでいる者を総じた名称)のための商店や宿屋や酒場が集まる西区の中心にあった方が、遥かに便利で地価も安く、都市計画にも沿っていて都合が良かった。 その何の変哲もない二階建ての施設、奥の会議室には十数人の人々が集まっていた。 男は溜息をついて、壁掛けの絡繰り時計から目を離す。一瞥してみても、歳や髪の色、いで立ちや醸し出す雰囲気など、あらゆるものが異なっていたが、彼らは一様にむすりとした顔つきで机に向かっている。外見から発される威圧感もさることながら、やっと中堅に浸かった彼にとっては、貫禄ある佇まいが板についた先達らにはどうしても一歩引いてしまう。それもその筈で、彼らは一人残らず資格職の最高位、称号持ちとして現役なのである。実力と経験に裏打ちされた自信は、彼らを一回りも二回りも大きく見せている。 男は臙脂色の髪をガジガジと掻いてから、徐に立ち上がった。視線が集まる。 「――えー、現時点で予定の五分遅れです。それじゃいる人だけで始めたいんですが、いいですか!」 喧騒は一瞬鎮まり、それから数人が口々に話しかける。 「おいおい待てよヒース、第十八迷宮の合同探索隊は帰還したんだろう? この場には来ないのか?」 「しかしそれも数時間前のことよ。流石にそこまで酷使するのも気の毒じゃろうて」 「待つなら待ってもいいが、そんなに重要な議題かね?」 「いや定例会なんだし、終わりの時間は守ってほしいんだけど」 好き勝手言いやがって、と内心男は青筋を立てたい気持ちだったが、白い歯でニッと笑って見せた。 「まあまあ、お忙しい面々であることは承知の上! 定例会の議事録は各団の代理に持ち帰ってもらうとして、まずは予定通り話を進めましょうや! ね、はい、そうしましょ!」 すると不満そうにではあるがざわざわした室内は波が引くように静かになった。この男の屈託のない逞しい笑顔というのは、有無を言わさない爽やかさがあった。 「えー、中央南支部管轄の十七団と二十一分隊の代表者の皆さま、本日はお忙しい中お集まりいただきまして恐悦至極に存じます。不肖ながら持ち回りにて、団のヘイスイェルデンがすすめさせてもらいます。それに、ベルガウレヒト……サン」 ちょっと言いづらそうに、ヘイスイェルデンは後ろの黒板脇に控えていた黒髪の女性を手で示すと、彼女は黙って一礼した。闊達な雰囲気のヘイスイェルデンに比べると、前髪を正面で分けて後ろで結わえた彼女は大人しい印象を受ける。 ようやっと、会議は動き出す。少し空気を張り詰めて。 「まずは北の緩衝地帯に動きがあった件です。ベルグさん、お願いしやす」 「はい。『奉る 広がりたる面 白鷗の瞬き 陽炎に踊れ 水溶する花弁 緑の額縁に蟻』――”視覚支援”、”指定プログラム展開”」 詩歌を口ずさむような彼女の詠唱に、ヘイスイェルデンはほうと顔を緩ませる。 すると、黒板の前に半透明で淡く発光する図と文字が表示された。彼女の手元には鍵盤のようなインターフェイスが展開しており、それを指で操作するたびに会議室前面のヴィジョンは様相を変え、参加者の前の机上に浮かび上がる。 「先日の雷燕の速報の通り……浮雲の轍団(トッズロント・ギルド)のジョルチョス氏とラブッキア氏が戦死しました。瘴気の森が拡がっているとの依頼を受け、食い止めるために近い母体樹の切断を試みていたところでした」 大きなため息と、低い唸り声で室内は満たされる。 画面には、正確な地図に、戦死が確認された地点のマーキングが点滅していた。日時、状況全てが記録されており、それを読むのにしばしの沈黙が降りる。 無念そうに眉をしかめた金髪の老人が、腕を組んで前の画面から目を離す。 「ベテランと期待の新人を同時に失うとはな……あいつらでもやられる濃度だったって事か? それとも、母体樹の近侍コロニーが強かったのか?」 「解毒の疲労と夜襲という状況が悪かったのだと生存者から報告を受けています。当時、近隣の村を荒らす獣系の魔物が報告に上がっており、それがコロニーに合流した可能性があるとのこと」 「種類も違うのにか? 考えにくいが……まさかそれらを束ねる賢い指揮役がいたとかじゃないだろうな?」 「いや待て、二年前のワスク狂乱も一匹の突然変異種が中心になった狂気の伝播が原因だったな。北はあれから神経質になるくらい魔物研究に力を入れてるが、賢い指揮役の存在は以前認められていないはずだ。別種合流があったとて、まだ偶然の方が現実的だね」 眼帯をした男の、ベルガウレヒトの言葉を一蹴するような発言に、む、とヘイスイェルデンが反駁する。 「何かと決めてかかるのはどうですかね。どちらにせよ、緩衝地帯から突出した母体樹は切除に成功してますし、引き続き浄化方術の得意な神官職を定期的に派遣する必要があると思います」 「それは、依頼のアフターケアでかね? それとも新しい依頼が上がる? まさか無償という訳ではあるまいね」 じろりとした視線がヘイスイェルデンに集まる。 一転、そう言った手続きや法令や折衝に疎い彼は目に見えて焦る。 「えー……当初の依頼が当該国発信だったので、状況説明と申請を行えば予算を貰える筈……だよな、ベルグさん?」 「はい」 「あのさあ、筈、じゃ困るぜ。こっちも慈善事業じゃないわけさ、団員たちは命張って依頼こなしてんだよ。人材も不足してるうちは、パスしたいもんだがなあ」 大声で不満をあらわにしたのは、右奥の席で机に肘をついた中年の髭男であった。それを諫めるように、向かいに座った如何にも魔術師という風体の老人がぴしゃりと言い放つ。 「そりゃ何処も同じじゃい。左様な無責任な態度では、いざという時困るのはお前のとこの団じゃぞ」 「はあ? 管理責任は国にあるんだから、軍が動くべきじゃないのかよボン爺さん」 両者は一歩も引かず、睨み合った。 実力主義のこの界隈では、団の代表者ともなると年齢に関係なくよく言えば堂々とした、悪く言えば横柄な態度を取る者も少なからずいる。勿論まともな感覚では、殉職者の多い冒険者にとって、老人というだけで運と実力と賢さを兼ね備えており尊敬に値すると知ってはいるのだが。 会場はまたしても喧騒に包まれる。それぞれに加勢するもの、呆れるもの、面白がるものと十人十色であるが、困っているのは進行役のヘイスイェルデン只一人である。 爽やかスマイルも、こういう場面では何の役にも立たない。 「み、皆さん落ち着いて! まだ色々議題はあるんで、ここでそんなに盛り上がんないでほしいっていうか……」 すると、黙って成り行きを見ていたベルガウレヒトが急に前に進み出て、大きく咳払いをした。 「とりあえず、協会で受けた案件は、協会で完結しましょう。軍のキャパシティを鑑みて、より悪化した状態で後で丸投げされるよりも、両名の犠牲によって今、どうにか拡大を食い止められたことが重要ではないでしょうか。これを適切に保守していくことが、行く行くは国と協会にとってはメリットが大きいと考えられます。非協力的な態度を取ることは報酬の減額も危惧されますし」 凛とした声は、見た目よりずっと強く、大きく、頼もしい響きを以て参加者たちの耳にしっかりと届いた。横でヘイスイェルデンは何も言えずに立っている。 「……むむう」 「まあ、普通に考えてそうなるわなー」 「異議なしじゃ。いっそそっちでローテを組んでくれんかね」 彼女に同意を示す空気になると、頷いて室内をぐるりと見渡した。 「では、瘴気拡大防止に必要な方術を会得した神官職のピックアップと、国への予算追加申請は協会中央南支部にお願いします」 書記席で小さくなっていた協会の事務方が、弱弱しく返事をした。国や個人から依頼を集めて集積するのが、各地の団をまとめる組織、協会である。逆に言えば、協会それ自体の役割はそこに尽き、実際的な現場での仕事を熟す能力は、各団にあるということで、力関係は明白であった。そうでなければ、定例会議の進行役も協会側が仕切って行うべきなのだが、如何せん一般人に等しい事務方に力ある発言はできない。 「それから、浮雲の轍団は遺族手当の申請を忘れずに」 「はい。……この度は各団よりお悔やみをいただきありがとうございました」 代表の若い女性は立ち上がり、ぺこりと頭を下げると、神妙な顔で黙りこくった面々も小さく頭を下げるのであった。遺族のような立場の彼女を前に、騒ぎ立ててしまったことをいまさら恥じているのかもしれない。 一旦落ち着いた場で、こっそりとヘイスイェルデンはベルガウレヒトに耳打ちした。 「あの……あざす、ベルグさん」 「先は長いよ。がんばって、ヒースくん」 あきれ顔で釘を刺したベルガウレヒトに、ヘイスイェルデンは分かりやすくきゅんとときめきながらも、彼女よりずっと頼りない自分の情けなさに、がっくりと肩を落とすのであった。 そう、先は長い。会議は踊るものだと古い格言が残っているように。 結局、会議は日が落ちるまで続いた。
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