2.明かりを灯すように

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大陸の中央からやや北東、峡谷と山脈の合間を縫うように人里が点在し、大河の合流によって平野へと扇状にその街はあった。 特徴的なのは、大河をまたいで街は広がり続けている点で、幾つもの橋が掛けられて西岸東岸と二分されて広がっている点であろう。この平野は国内有数の穀倉地帯として、夏には青々とした爽やかな草原、秋には広大な農地は一面黄金色に染まった野の姿に変わる。大河からの流れを引いているとはいえ、治水事業との兼ね合いで伏流水や地下水の利用も盛んであることから、巨大な風車の群れも観光客には人気のある風景だった。この風車の力を利用して収穫した麦は脱穀し、小麦粉に加工されて流通していくのである。 その最寄りにして大規模な街が、このエンシオ市であった。 この日、シーグルはエンシオ市の”跳躍”ポータルがある東門広場に立っていた。 街が大きくなればなるほど、資格職者たちが集う利便性もインフラ事業の重点となり、街の各地にこうした”跳躍”到着地点が設けられることが多い。東門広場は街道にも面していることから、一般人の交通も多く、観光客目当ての路上の物売りも大道芸人も多く集まっている。 (相変わらず人が多い。やはりハイノは当分連れては来られないな) シーグルはいつもの黒づくめでポータルの白い円柱周りから速やかに移動して溜息をつく。 この街のヴァイタルマークである最も巨大な風車は、農地都市外の丁度境目に当たる南側に屹立しており、何処からでも良く見えた。 シーグルは歩き出す。 山側の北へ向かう道は馬車や自走車等の為に広く整備されており、歩行者は店先並ぶ歩道を選んで歩くと彼の姿はかなり目立った。視線を感じながらも声をかけられることなくスムーズに目的地まで来れたのは、彼がこの周辺を歩くのは特別珍しいことではなかったからだろう。昔からあるこの通りは、魔道具販売資格を持った道具屋が軒を連ねており、古物商では掘り出し物もあり得ると多くの戦士職や魔術師職らしい人々が熱心にワゴンの中を眺めている。そこの大剣を背負った若者は、先輩らしい槍使いに防具の選び方を指南されている。こうしたあからさまな武器を携帯することが許されているのは皆有資格職者であり、街中で物騒な格好をしていても騒ぎにならないのはその情報が浸透して既に百年以上が経つからなのだろう。逆を言えば、武器使いの戦士職は誰にでも見えるようにその武器を持っていなければならないという法律があるため、凶器を持つ者の安心安全への配慮であるとともに、外見で身分を証明できるようになっている。 やがて、煉瓦造りの赤茶気た三階建てほどの一際大きな建物が坂の上に見えてきた。 古びた甲虫原色の看板には、『藍なる東雲団(アルブラウズ・ギルド)』とある。 シーグルは、その大きな木製の扉を押して中に入った。 まず二階まで吹き抜けのエントランスがあり、大きな”視覚支援”を施した掲示板が正面奥に設置されていた。そこには常時、現在協会から公開されている依頼が列挙されており、世界中の(ギルド)に公開されている依頼、特定条件を満たした団向けの依頼、この団専用の依頼に分けられて三つの枠で括られている。五、六人ほどがそれを眺めて思案しており、その先には並んだカウンターでは、具体的な依頼内容の確認を窓口の者と団員が相談している。 団は、三大資格職のどれかを有するものだけが属せる団体である。協会が世界各地で吸い上げて整理した依頼を請け負って、依頼人からの報酬を貰うシステムの最も現場に近い組織となっている。歴史は資格職の概念が生まれた時まで遡り、この藍なる東雲団も古参の一つとして有名なそれであった。 ベンチでは、手元に個人用に”視覚支援”魔術の半透明の窓を開いて依頼を物色している者もおり、ざっと見渡すと二十名近くがこのエントランスにいた。彼らはシーグルがやってきても特に反応を示すこともない。賢者のホルダー自体は相当珍しいが、シーグルは頻繁に依頼をこなす勤労者として認識されているからなのだろう。 やあ、とカウンターの一つで手が挙がる。指輪を幾つも付けた中年ほどの金茶髪の女性であった。人好きのする笑顔で手招きをするので、シーグルは丁度いいと寄っていく。 「おかえりなさい、シーグレンファルク。珍しく随分間が空きましたね」 「マルニエ様。申し訳ありません」 特に悪びれもなくシーグルが言うのを、面白そうに彼女は笑う。目じりの皺が長くなる。 「いえいえ、このまま来なかったら報酬はこっそり懐に入れちゃおうかと……やだぁ嘘ですよ嘘! はい、今回の評価も最上でしたので、取り分は減額なしです。ご査収ください」 そう言って、彼女は厚めの羊皮紙を差し出した。それを持って銀行に行けば即時現金化できるし、放っておいても額面上は口座に振り込まれていることになっているので、これは単なる領収書(レシート)のようなものである。 (金貨一枚に銀貨五枚、上等だ。これを下ろしたら買い物に使ってしまおう) ちなみに最上評価は『過程、結果ともにまるで文句なし。また頼みたい』である。 シーグルは国ごとに最も大きい銀行に口座を持っているが、それらを全て合わせても資産の半分以下ほどしか入れていない。殆どを現金化・物品化して各地に隠匿しているせいである。これは既に税金や手数料を引いた後の手取り分なので、特に法には触れない。別に銀行を信頼していないという訳ではなく、入用な時に下ろしに行くのが面倒なので、自分で自由に”接続”して取り出せる巨大な財布を持っていた方が楽だからである。 「さて、早速次の依頼を探しますか? たっぷりありますよお」 マルニエはふくふくと笑う。 彼女は案内手としてシーグルが団に属した頃からいる古参の一人で、いくつなのか聞くことは出来ないがその割にはすっきりとして若々しく見える。両手の指輪たちは、砂粒ほどの色石がついただけの銀のそれらであるが、以前聞いてもいないのに離婚するたびに増えている厄除のまじないが込められたそれなのだと教えられたことを会う度に思い出す。 「いえ、今日はそのつもりはありません。ところで……現在ウェンゼル様はいらっしゃいますか? 幾つか尋ねたいことがありまして」 「ウェンゼリオータ? 最近は魔学研での魔物の研究が楽しすぎるらしくて、滅多に帰りませんよ。あの子、熱中すると言うこと聞かないのよねえ。鳥文も読むかどうか怪しいものですよ。戻った時に知らせましょうか?」 「フム……いえ、結構です」 当てが外れたな、とシーグルは少し落胆した。あの偏屈魔物好き少女なら、賢者よりディープな魔物情報を持っていそうだと踏んだのだが。 「では、ラトカ様はお帰りですか?」 「もちろん。定例会議には間に合わなかったけれどね。さすがに疲れたのか、少し休暇を取って昨日までいませんでしたよ。何か急ぎの用事ですか?」 「ええ、大切な話がありまして」 シーグルは気を引き締める。 今日、この慣れ親しんだ本部にハイノを置いてまでやってきた理由は――団を辞める、と申請するためであった。 (――もっとハイノと向き合わなければならない。ハイノがそうしてくれているように) そうはっきりと考えたのは、ハイノがまた寝静まった後、昨晩遅くのことであった。 それには、時間が必要だった。 いつ、どうして魔物がハイノを襲ってくるかも分からない。教えるべきことも山ほどある。今は任意の依頼を受けるのを休んでいる状態だが、賢者というスペックを必須とした名指しの依頼が来ることも多い。そういった難易度の高い仕事にはハイノを連れてはいけまい。戦力にもならず、現場は危険なことも多い。それ以前に人と接する機会も多く、魔物を連れ歩いていると噂が広まってはシーグル個人のみならず所属団体の評判や信用に関わる。かといって長く家を空けることも十分あり得る状況では、とてもではないがハイノの安否が不安すぎる。留守を預けておける協力者も今はない。 (幸い散財することなく貯蓄はできているし、自給自足も容易だ。道具も金銭も個人秘匿領域に保存しているし、極論身一つでも生活に問題はない。小遣い稼ぎも、非課税額内であれば言い逃れできるだろうし) 魔術師職などの、魔力を使用した仕事をする為に資格が必要とされるのは、一般人を優に超える戦力の管理を国や自治体がしやすくするためであり、経済や財政の崩壊を防ぐためでもある。 ヒト・モノの価値相場は、一般人と資格職とでは雲泥の差がある。例えば一般人が荷車を牛に曳かせて物流が成り立っている世の中で、魔術師が移動系の魔術で運送業を始めるとたちまち一般人の運送業者は失業し、輸送料金などの相場は破壊される。それほど魔術とは便利でコストの低い異常な技術なのである。そういったことがあらゆる産業界で行われれば、総人口の大多数を占める一般人において失業者が増大し、差別と怨嗟は人々の間に亀裂を生み、世は荒れ果てるだろう。やがて魔力を有する者とそうでない者との格差は深刻なものとなり、現在の支配構造並びに国家の形は大きく変容してしまうことが目に見えている。それを防ぐために、協会が依頼受付の窓口になって適正な料金と適正な人材を依頼主の元に派遣するシステムが全世界的に構築・維持されているのである。 また、資格職者が協会を通さずに個人で仕事を請け負うと、そこに発生する協会の仲介手数料から成る多額の税金を徴収することができないため、協会及びその所属団体に属さない資格職者は、金銭の発生する労働を法的に禁じられ、資格剥奪や魔力出力阻害刑などの厳罰が課せられることもある。だが基本的に、というのは、やり取りされる金銭においては許容限度額が設けられており、完全に禁じているわけではないので、正直に税務院に申告をすることが資格職者の義務となっている。 別に犯罪者になる気はないシーグルは、人の世から離れてひっそりと暮らす先人たちを参考に穏便な方法を模索するつもりであった。いつになるか分からないが、ハイノが独り立ちできるようになれば復帰することも考えられる。 (……そのハイノは大丈夫だろうか。熱は下がったが、眠ってばかりいる。あの時、体に大きな負担がかかったのだろう) 家には魔術で封鎖機能を付与し、音声再生用魔道具を置いてきた。夜には帰ること、家から出てはいけないこと、水や食料など必要なものは室内にあることなどを記録させたペーパーウェイト型のそれは、ハイノが目を覚ますと自動的に再生されるようにしてある。 賢い子なのでその言いつけはきっと守ると思うが、念の為室内の封が破られた際には警告が飛ぶようにもしてある。 (これからこの前できなかった買い物をするにしても、早めに帰りたいものだな……) 「――もしもーし?」 そんなことを考えているうちに、黙り込んでしまったらしい。マルニエが鳶色の目をぱちぱちさせている。 「で、どうするんですか? 面談希望を出す?」 「はい。ただ、できるだけ早期の面談を望みますので、ラトカ様のご都合のいい時にお呼び出しいただければと――」
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